自分軸・他人軸とは?人生を左右するほどの違いがある【基礎知識を徹底解説】

自分軸と他人軸の違いを徹底解説しています

本記事は、このような疑問をお持ちの方にオススメです。

  • 自分軸と他人軸の違いや特徴を知りたい
  • 自分がどうしたいのかに沿って行動したら他人軸をやめられる?
  • 他人軸って何がマズイの?
  • 他人軸になる原因
  • 他人軸から自分軸へ軌道修正するために必要なことは?
いとう

当サイトで紹介している、他人軸・自分軸についての内容は、2009年より延べ1,300名様に提供してきた、自分軸が身につくEFTタッピングのセッション内容や自身の取り組みなどを、細部に渡り言語化・知識化・体系化して作り上げた、自分軸教習所のオリジナルコンテンツです。

目次

自分軸・他人軸って何?

自分軸と他人軸は、どちらも

あなたの人生において、あなたが生きる(活きる)ために、あなたの欲を、ご自分で扱う方法

のことを指します。

軸には、活動の中心という意味があります。

活動の中心とは、あなたの人生において、あなたが生きる(活きる)こと!

人生とは、生きるとは、突き詰めると、日々、自分の欲を自分で扱うことの連続・積み重ねです。

欲とは「~したい」「~したくない」といった、自分の答え・意志のこと。

複雑に感じる人の動きですが、言葉による表現や装飾を取り払って、土台に着目すると

日々、ヒト・モノ・コトに対して生じる「~したい」「~したくない」といった、自分の欲に沿って、思い感じ考え行動し、何かしらの結果を得て、それを次につなて活かす

これが、生きる上での土台・基本です。

日々の積み重ねが学び、スキル、経験、自信、人間関係の構築、お金などを得ることにつながります。

それぞれの道で、日々、人は自分の欲を自分で扱いながら、物事を成しています。

自分軸と他人軸の違い

自分軸と他人軸は、一回当たりの、自分の欲の扱い方に違いがあります。

あなたの人生において、あなたが生きる(活きる)ために、あなたの欲を、あなたが尊厳を守り、持ち味を活かす自分軸で扱うのか。

それとも、傷つかないよう自分を守るために、常に周囲から評価を得られる自分であるよう、自らを犠牲にする」他人軸で扱うのかという話です。

自分軸の「自分を活かす」と他人軸の「自分を犠牲にする」は、それぞれ全く違うため、使い分けはできません。

なので、自分軸か他人軸、どちらかが、あなたの欲の扱い方になっています。

自分軸の特徴

尊厳を守って生きる

自分軸とは、自分の尊厳を守って生きること。

尊厳を守るとは、日々、自分で自分のことを決め「自分がどうしたいのか」に沿って、行動していくこと。

日々の、ヒト・モノ・コトに対して「自分がどうしたいのか」に沿って思い感じ考え、行動し、何かしらの結果を得ていくことによって、自らの内に「自分は自分である」という自己を確立し、持ち味を活かして生きること。

互いの違いを尊重し合える関係を築ける

自分の尊厳を守ることが、周囲の尊厳を守ることへとつながります。

互いの違いを尊重しながら、発展する関係が築けます。

他人軸の特徴

自分と周囲に犠牲を強いる

他人軸とは、自身を守るために、常に周囲から評価を得られる自分であるよう振舞いながら、自らに犠牲を強いること。

評価・承認・注目・理解・欲しいモノ・コト・結果など自分の思い描く反応が、周囲から常にもたらされるよう「人にどう思われるか、自分はどうすればいいのか」を考え、行動します。

思い描く反応が得られなければ、自分を否定されたと感じて不安定になったり、傷ついたりします。

なので、人に気を遣っているようで、実際は好意的な反応を無自覚のうちに求めては、周囲に犠牲を強いることもあります。

完璧主義になりがち

うまくいかない現状を打破しようとする時は、完璧・理想の自分になる努力をしながら、さらなる犠牲を自らに強いていきます。

完璧・理想の自分になりさえすれば、何もかもうまくいく。常に周囲がら思い描く反応を引き出せるようになり、自分を守れると感じるからです。

でも実際は、どこまで頑張っても満足することがなく、自分を責めたり、自信をなくしたり、心身がすり減って行きます。

傷つかないよう自分を守り続けることがリスクになる

自分を守るために、自らを犠牲にし続けることが、後にリスクと化します。

誰かの機嫌、顔色、目線といった周囲の反応を通じて、自らの内で下す「承認を得られた・得られない」の判断で、周囲と自分を比較しては、自らを裁いたり、慰めたりしながら、心身がすり減っていきます。

他人軸の目的は、傷つかないよう自分を守ることであるはず。

なのに、心身がすり減って行くばかりで、傷つくことから全然自分を守れていないのです。

つまり、他人軸での対応方法自体が、成り立っていないのです。

他人軸の本当の問題

他人軸で生き辛さや苦しさ、不安定さを覚えたり、「こんなはずじゃなかった」と思ったりしたのを機に、やりたいことや好きなことをやろう、自分軸で生きようと考える方は多いのではないでしょうか。

でも、他人軸だからといって、いつも「自分がどうしたいのか」を犠牲にしている訳ではありません。

好きなことや、やりたいことをやっているのです。

ただし、土台である「自分の欲を自分で扱う方法」が、他人軸のまま「自分がどうしたいのか」に沿って、行動することになります。

これが、他人軸の本当の問題です。

自分を犠牲にしているからといって好きなことができない訳じゃない

「自分の欲を自分で扱う方法」が、他人軸のまま「自分がどうしたいのか」に沿って行動する場合、何が問題なのかというと

自分がやりたいことをやっていたはずなのに、気づかぬうちに、周囲から思い描く反応を引き出しては安心する、他人軸の自らを守る行動へとすり替わっていくこと

恐らく、他人軸をやめたい、自分軸を作りたいと思う大人の女性は、うまく言葉に表せないまま、このことに悩んでいて、対応策を探していらっしゃるのではないでしょうか。

他人軸は、どこまで行っても他人軸です。

他人軸をやめたいから、自分がどうしたいのかに沿って行動すれば自分軸で生きられる、という単純な話ではないのです。

自分軸で動いているはずが他人軸にすり替わる?

自分軸で動いているはずが他人軸にすり替わるとはどういうことか、いくつか例を挙げていきます。

どうせ自分には無理だという自らを守るための思い込み

例えば、他人軸のまま「自分がどうしたいのか」に沿って行動する場合、無意識のうちに、周囲から評価を得られなくなると感じて、不安や恐怖心などを覚えます。

このような場合は

  • 自分にはできない
  • どうせ自分には無理だ
  • うまく行くとは思えない
  • 誰かに何か言われるんじゃないか
  • こんなことをやっても何も変わらない
  • 相手が傷つくから思っていることが言えない

などと思うことで「自分がどうしたいのか」に沿って行動することをやめ、他人軸へと戻り、自らを守るという辻褄を合わせる動きが、自分の中で生じます。

これらを「思い込み」と称して、手放そうと考えるかもしれません。

でも、他人軸の欲の扱い方や、目的など、全体的な動きを考えると、部分的な思い込みを手放すだけでは、自分軸で行動できるようにはならないのです。

やりたいことや好きなことを隠れてやる

他にも、好きなことややりたいことを、隠れてやるという動きも出てきます。

隠れてやれば、表面上は、周囲から評価を得られないと感じる、イケナイコト「自分がどうしたいのか」をやっていないことになるからです。

つまり、自分がやりたいこともやれるし、周囲からの評価を保てるし、文句も言われないし、自分も守れると感じて辻褄が合うのです。

もう万々歳!なのですが、実際には、どうなのかというと

  • 欲しいものを手に入れたのに罪悪感が湧く
  • 楽しいことをやっているはずなのに楽しめない
  • 隠れて背徳感を楽しんだ後、罪悪感を埋めるために周囲の機嫌を取る
  • やめなきゃとかマズイと思いながら、ずるずると続けてしまう

と言った具合に、やりたいことをやりつつも、他人軸に戻って自分を守ろうとする動きが自分の中から出るのです。

嫌われてもいいから好きなことをやる

開き直って

  • 嫌われてもいいから好きなことをやろう
  • 嫌われる勇気を持とう

とするかもしれません。

これは、周囲から評価を得られなくてもいいから、やりたいことをやって、他人軸をやめようという考え方です。

セミナーなどで仲間がいて、周囲の賛同を得られていると感じる状態であるなら、やりたいことをやろうと盛り上がれるかもしれません。

でもですね、物事を実行する時って、基本的に自分一人です。

賛同や賞賛などが得られなければ、自らを守れなくなると感じて、怖気づくかもしれません。

加えて、他人軸は一見、行動的に見えても実際は受け身です。

前述しましたが、評価・承認・理解・欲しいモノ・コト・結果など、どうすれば、自分の思い描く反応が、周囲から常にもたらされるのかを考え、行動します。

この状態のまま、自分軸の「自分がどうしたいのか」を考え、何をするのか一つ一つ決め、必要なことを人に話したりしながら、地道に物事を成していくとなると、長続きしないのです。

なぜなら、意気込んでやり始めたはずなのに、周囲からの評価が得られないので、何の手ごたえも感じないから。

思い描く反応を得る時のように、すぐに結果が出る訳でもないので「こんなことをやっても何も変わらない」と思って、やめてしまうのです。

他人軸に戻り、やる気が続かない自分を責めながら、なぜうまくいかないのかを考え、「できない言い訳」をこれでもかと思う位に集めてしまう。

自分軸で動いているはずが、他人軸へとすり替わるのは、自らを守るためには仕方がないのです。

自分を否定されたと感じて傷ついてしまう

自分軸の「自分がどうしたいのか」に沿って行動する時は、誰かに協力や賛同を求めることがあります。

他人軸の状態では、自分の思いを誰かに話す場面で、他者から自分とは違う意見や、受け入れ難いと感じる意見を言われると、否定されたと感じて傷ついてしまいます。

黙り込んでしまったり、相手を言い負かして関係が悪くなったり、それこそ「好きなことをやると嫌われる」を地で行ってしまうかもしれません。

自分は悪くないと思いながらも、後味の悪い思いを抱くことにもなりかねないのです。

原動力は他者からもたらされるもの

周囲からの評価や同意などと感じる反応は、自分の中で高揚感・万能感・やる気などの原動力になります。

他人軸の状態で、これを欠いてしまうと不安定になったり、やる気がなくなったり、居場所や存在価値がないと感じたり、心許なさを覚えたりします。

なので、常に、周囲から思い描く反応を引き出せなくてはならず、大変なのです。

事実と感情の区別がつかない

でも、思い描く反応を引き出せだとしても、満足しないことも多々あります。

皮肉やマウンティング、見下し、ばかにされた、わかってもらえないなどと捉えたり、お世辞とか「本当はそう思っていない癖に」などと卑屈になったりもします。

なぜなら、周囲からの評価といっても、実際に「認められた・認められない」の判断は、自分の内側でしているからです。

だから、本当に評価を得ている訳ではないのですが、他人軸の状態では、事実と感情の区別がつきません。

そのため

  • 周りから嫌われる(評価・承認・理解・欲しいモノ・コト・結果など、自分の思い描く反応)
  • 好きなことをやる(自分の行動)

が自分の中でセットになっていて、これらがそれぞれ別なことであるとは、感じないのです。

セットになっているからこそ、周囲の評価が得られなくならないよう、自分を守れる訳です。

自分軸で生きるはずだったのに他人軸で育った原因

他人軸と自分軸、どちらも幼い頃に、周囲とのやり取りを通じて、自らの内に形成し、日々ヒト・モノ・コトに対応しながら育み続けてきているものです。

本来ならば、自分の人生において、自分が生きるために、自分の欲を自分軸で扱うはずでした。

なのに、他人軸になったのには原因があるのです。

人は最初から自分の欲を自分軸で扱える訳じゃない

先ほど、人生は、自分で自分の欲を扱うことの連続・積み重ねと述べましたが、人は最初から自分の欲を自分軸で扱っている訳ではありません。

生まれたばかりの頃のことを思い出して頂きたいのですが、最初は、ただ存在するという受け身の状態で

自分に必要と思われるものを、周囲の人が察して、与えてくれ、守ってもらっていたはず

この時期はあるがままの状態でいるだけで、常に周囲からの承認・注目を得られ、守ってもらうのが当然だったのです。

自我が芽生える頃から自分の軸を育てることになる

自我が芽生えてきた頃から、少し事情が変わります。

「自分でやりたい」という欲に沿って、思うがままに動き始めます。

ただ、この時点の自分は、何が危険なのかもわからないまま、やりたいという思いや好奇心だけで動く「命知らず」状態です。

だから、周囲の庇護のもと、日々、やり取りを通じて

  • 「心身を守る」
  • 「自分のことを自分で決め、行動し、尊厳を守る」
  • 「自分と他者の尊厳を守る」

という自分の欲を自分軸で扱う方法を、少しずつ身につける必要があったのです。

他人軸が身につくのには事情がある

でも、人それぞれ事情があります。

例えば、周囲とのやり取りを通じて、欲の扱い方を学ぶ際に

  • 「自分がどうしたいのか」を口に出しても叶わない
  • 「周りにどう思われるか」を優先するしかない

など、幼い自分にはどうすることもできず、受け身にならざるを得ない場面が多々あるのです。

その際に

  • その場を凌げた
  • 波風が立たなかった
  • 怒られなかった
  • 褒めれられた
  • 喜ばれた

などと感じていたことを、幼いが故に、自らを守れる、うまくいくと学んでいる場合。

自分の中で、何かしら問題と感じることが起こる度に、生まれた頃から持ち合わせている

常に周囲からの承認(思い描く反応)を得るのが当然・得られて当然(そうすれば自分を守れる)

という、あまりに当たり前かつ無自覚の前提に沿って、自分の欲を他人軸で扱いながら、辻褄を合わせていくことになるのです。

他人軸の末路

自分の欲を他人軸で扱い続けて生きる末路とは、どこまで行っても他人軸から抜けられないということ。

自分の欲を自分で扱うにあたり、他人軸の辻褄を合わせる動きが生じると、本当に必要な、自分軸の「自分がどうしたいのか」に沿って、物事に対応し続けることができません。

この対応が日々、積み重なると、自分の内・外で、問題や悩みが育ちます。

内側の悩みとは、例えば

  • 過去の成長過程に不満やコンプレックスがある
  • 自分の気持ちがわからない
  • 自信がない
  • 居場所、存在価値がない
  • 自己肯定感が低い
  • 将来に対する不安や悲観
  • このままでいいとは思えないけれど何をしたらいいのかわからない
  • 頑張っているのにうまくいかない

など。

外側の悩みとは、例えば

  • さまざまな人間関係
  • 仕事
  • 恋愛、結婚
  • 子育て
  • お金

など。

加えて、自分がやりたいことをやっても、気づかぬうちに、他人軸の自らを守る行動へとすり替わるので、どこまで行っても他人軸から抜けられないのです。

楽しいことも、嬉しいこともある。
やりたいことだってやっている。
物事も成している。

でも何かが足りない、何かがおかしい。

そう感じるのであれば、あなたの内側で育った、他人軸がそうさせているのかもしれません。

他人軸にはタイプがある

一言で他人軸といっても、タイプがあります。

他人軸でいわゆる成功している方もいれば、どこまで行ってもうまくいかないと感じる方もいます。

これは追って別記事で説明をしますが、同じ他人軸であっても、タイプの違いによって、どこまでもうまく行かないと感じる人が、成功している人の真似をしようとしてもできないのです。

心身がすり減る一方になるので、自分のタイプを理解することはとても大切です。

他人軸から自分軸へ軌道修正をしながら自分軸で生きる方法がある

他人軸から自分軸への軌道修正術は、内・外に広がった悩みがあるという、現状をスタート地点に、自分の欲を自分軸で扱う方法です。

悩みを題材に

起動修正を積み重ねる取り組みです。

  • 自分の内側で生じている、他人軸の癖を感覚・言葉を通じて認知・理解し、これではうまくいかないと気づく
  • 自分がどうしたいのかに沿って思考し、行動しながら、自分軸を育む

これは、自分軸で動いているつもりが、他人軸へとすり替わることへの対策でもあります。

他人軸から自分軸への軌道修正術を、自らのの内に育むために、EFTタッピングと呼ばれる、上半身の特定のツボを軽く叩きながら言葉を口にする、という手法を使います。

この手法を使い、悩みが生じた時の、ご自分の感情や思考・言動などと一つ一つ、向き合います。

どのようにヒト・モノ・コトに対応して、うまく行っていないのか。
なぜ、この対応を取ったのか。
自分は本当の所、何をしたかったのか。
それを得たら、どうなると思っていたのか。
この先、何をする必要があるのか。

などといったことを一つ一つ、掘り下げ、頭と心が納得した上で、ご自身の尊厳を守ったり、新しい行動を取ったりしながら、これまでと違う結果を得られる状態を作ります。

他人軸から自分軸へ起動修正を積み重ねることでのびしろや可能性に気づく

もし、あなたの中に、他人軸が育っていて、それが親や周りのせいだ、環境のせいだと思っていらっしゃるのであれば、不満や苦しさ、辛さなどがご自分の中から出て来る度に、ありのまま認め、掘り下げて

  • 原動力
  • 自分がどうしたいのか
  • 前に進むために必要な情報

などへと変えていく取り組みです。

一回、一回の取り組みは、大したことがないと感じるかもしれません。

ですが、人生は、生きるとは、日々、自分の欲を自分で扱うことの連続・積み重ね。

ヒト・モノ・コトを変えながら、この方法を使い続けることで、他人軸から自分軸への軌道修正術が、あなたの内側で育ちます。

これが、自分らしく人生を前に進めるための指針や術、お守りなどになります。

「自分にとって自分が一番の味方であり、理解者であり、頼りになる存在だ」ということも、のびしろや可能性がたくさんあることも、お分かり頂けると思います。

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