EFTタッピングの効果がないと感じる時は期待と現実の間にあるギャップを埋める

EFTタッピングの効果がないと感じる時は、期待と現実との間にあるギャップを埋める

自分軸教習所のブログで、よく検索される、キーワードの一つに「EFTタッピング 効果ない」というのがあります。

このキーワードを見かける度に、思うこと。

それは、「検索下さった方が、EFTにどんな期待をして、どんな効果や変化が得られることを、望んでいるのか。
具体的に知りたいな。」


そう思う理由が二つあります。

一つ目は、お一人おひとり、期待や効果という言葉・表現に含める意味も、求めるものも違うから。

もう一つは、私が初めてEFTタッピングのセッションを受けた時、漠然と期待していた効果や変化と、実際に得たものとの間には、大きなギャップがあったから。

もし、今日の記事をお読みになったあなたが、ギャップに関して「私もそうだ!」と思われたなら。

「EFTタッピングの手法を用いた、自分軸の構築」をお勧めします。

今日の記事では、その理由にも触れていきます。 

目次

EFTタッピングを始めて受けた時のこと

このブログ内に、私が、初めて、セッションを受けた時の体験談があります。


事故の後始末をしていた頃の話で、助っ人の指示の下、自覚なく

視点や意思の扱い方が他人軸のまま、行動だけを自分軸に変える

取り組みを始めて、一年半が経とうとしていた頃のことです。

私は、後始末を通じて、

これで良いのかなあと思いながら、無理やり、自分がどうしたいのかを引き出す。
憂うつな気持ちで、自分がどうしたいのかに沿って必要な行動をする。
うまくいく。
想像するような最悪な展開は何も起こらず、拍子抜けする。

ということを、出来事を変えながら、繰り返していました。

そんな訳で、「視点や意思の扱い方が他人軸のまま、行動だけを自分軸に変える」ことに少し慣れてはきていたのです。

でも、物事のハードルが毎回、少しずつ上がるので、行動を変える時の、精神的な負担はいつも感じていました。

そんな中で、初セッションを受ける機会が巡ってきます。

理由は、自分軸で行動した後、理不尽と感じる展開と結果が生じたこと。

他人軸の視点・思考状態のままでは、その結果を受け入れられず、周りが全員敵に見える、受け入れたら生きて行けない!などと感じるようになりました。

EFTタッピングの効果

そんな私の初EFTセッションの効果は、「受け入れ難いと感じていた決定事項が、何も変わらないのに、自分の視点が外から内へ向いたことで、物事の捉え方が変わった」

私は、何が起きていたのかわからず、EFTタッピングの感覚的な変化や効果に驚いていました。

理不尽と感じていた出来事も、受け入れられた。

自分の感覚と言葉が連動するという生まれて初めての体験も不思議だったし、何より、自分の内側に、ものすごい安堵感が生じていたのです。

期待と現実とのギャップ

でも、同時に、だから何?とも思っていました。

「EFTを受けたら、奇跡的なことが起きて、理不尽と感じる、決定事項がひっくり返るんだろうか」

「そんなことある訳ないよね」

「じゃあ、EFTをやる意味って、何?」

「こんな変化や効果があったからって、私の問題はたくさんあるし。それらは何も変わらないし。」

一回の、EFTで何もかもが変わる訳がない。

そう思いながらも、一回のセッションで、奇跡が起こり、自分の抱えている問題が全てなくなる展開を、
ぼんやり期待していたのです。

でも、そんなことは起こりませんでした。

自分の中で、EFTに対する期待と、実際に生じた効果や変化とのギャップが生じたまま、埋まるこははもありませんでした。

このギャップは、他人軸と自分軸の意思の扱い方の違いを表しています。

それを実感することが、当時の私には、必要だったのです。

変化や効果って、わかりやすいものばかりではないのですね。

期待を捨てきれない

初セッションが終わってからも、しばらくは「これから何か起きるんじゃないか」と期待をしていました。

自分は何が欲しいのかが具体的にわかっていないのに、向こうから、満足のいく、何か良いものがもたらされるのを待っていたのです。

でも、やっぱりそんな日は、来ませんでした。

現実で得たものとEFTの積み重ねによってギャップが埋まる

代わりに、私に、大きな実りや結果、素晴らしい経験をもたらしたものがあります。


それは、「当時、手ごたえは感じていたものの、実際の変化に結びつくとは、ひとつも感じていなかった、事故の後始末に関する、地道なプロセスの集大成」

後にこれが、納得の行く終わりと、アイホージュの立ち上げへとつながっていきます。

リアルタイムでは「理不尽」と感じていた出来事も、今という時間から振り返ると、私にとっては「最善」であったことがわかります。

事故の後始末の最終段階でも「理不尽と感じることに対応する」場面がありました。

この時、私の中で

周囲に対して、尊大にならず、自己卑下もせずに、納得の行く結果を得るには、どうすればいいのか

という主体的な考えが自然に生まれました。

これは、EFTの効果です。

それまで、視点や思考、他人軸のまま、行動だけを変えてきましたが、セッションで自分の内側に意識を向けた体験が、事故の後始末の最終段階で生きたのです。

思考が、自然と自分軸になったことで、必要な対応が取れ、 納得の行く終わりに結びつきました。

後始末を通じて、どこまでも、自分の納得を求めて、辿り着いた先にあったもの。

それが、自分軸を構築するために必要な二つの基本

自分を尊重することが、自分と他者の違いの尊重と互いの発展につながる

であったことを、言葉で説明できるようになるまで、ずいぶんEFTをしました。

たくさんEFTをしたことで、私の中で、期待と現実とのギャップがどんどん埋まっていったのです。

期待通りの効果を得られる未来には何がある?

もし、初めてのEFTで、私が漠然と想像していた、奇跡が起こり、抱えている問題が全てなくなるような展開が生じていたら。

リアルタイムでは、本当に嬉しくて、もうもう幸せ!と思ったんじゃないかな。

でも、問題はその後。

私には

やりたいことがあって着手しても、努力が続かず、他人軸でその場をしのいでいく

という癖があるのです。

EFTタッピングを使った自分との対話と、悩みや望みに対応しながら自分軸を構築する中で、この癖を具体的な「ことば」で理解した上で、対応できるようになりました。

この癖は、別な言い方をすると、「自分が欲しいものを自覚なく自分から取り上げる」

私の場合、事故の後始末を通じて、自覚なくこの癖に対応しながら、納得の行く道に進むための方法を築いていたのですが、もし初セッションの後に、期待する奇跡が起きていたとしたら。

それができなくなるのです。

自分の期待した奇跡の実現が、自覚なく、自分の欲しいものを取り上げるってどうよ・・。

癖によって私は、困った時に、自分がどうしたいのかを考えることなく、周りからあてがわれた何かで、その場を凌げることに、ありたがみを感じるのですが、これは、一時しのぎに過ぎません。

自分がどうしたいのかに沿って、必要な対応が取れないまま、その場しのぎをしてしまうと、物事を先送りすることになるのです。

これが、さまざまな悩みの種となります。

他人軸による対応の繰り返しで、種が育つ。

いろいろな問題が複雑に絡み合って大きくなった時。

「自分はどうしたいのか」を問われても、わからないと感じるばかり。

気持ちが焦る中、いろいろなテクニックに手を出しては、奇跡を期待し失望する悪循環にはまり続ける。

期待通りの効果を得られたはずの未来で、こんな展開が待っているだなんて、あの頃は思いもしなかったな。

個人的なEFTタッピング最大の効果

今でも、何か変だな、おかしいなと思う時にEFTをすると、「向こうから、何か良いものが来る」のをぼんやり願ったまま、必要な対応を先延ばしにしている自分に気づくことがあります。

そりゃうまくいく訳ないわな。

そう思いながら、自分がどうしたいのかに沿って起動修正ができるのは、私にとって、最大のEFTタッピング効果なのです。

EFTタッピングに対する期待と現実のギャップが生じるのは、よくあることだと思います。

期待通りの展開にならないから、効果がないと感じる時は、アイホージュにご相談ください。

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