EFTタッピングは効果がない。
そう感じている方は、案外多いのかも知れません。
もしかしたら私は、EFTタッピングの効果や変化を存分に実感し、人生の指針・お供・お守りとして、なくてはならないものと思っている数少ないうちの一人なのかも知れません。
この記事では、私・伊藤が初めてセッションを受けた十数年前のことを振り返りつつ、
- 当時の自分が何に躓いていたのか
- なぜEFTのセッションを受けようと思ったのか
- 初めてのEFTセッションで、どんなことを思い感じ考えていたのか
- どんな効果や変化を体験していたのか
- EFTで得た効果や変化が、未来でどんな風に活きたのか
個人的な話を紹介しましょう。
もしかしたらあなたが想像したり、期待なさったりしている「効果や変化」とは、違うのかもしれません。
本記事は、このような方向けの内容です
- 自分軸が身につくEFTタッピングに興味がある
- このEFTタッピングで得られる変化や効果はどんなものなのか
- どんな時にEFTを使えるのかを知りたい
EFTタッピングで変化や効果を感じるきっかけとなった出来事
初めてEFTタッピングを受け、変化や効果を実感するきっかけとなった出来事は、一本の電話でした。
事故に遭い、二年が経過する頃のことで、まだ後始末は終わっていませんでした。
電話主から「あること」に関する知らせを受け、私は、それはそれで仕方ないと思っていました。
残念な結果になる可能性を知っていたので、心づもりをしていたからです。
だから、その知らせが私にとって「残念」「喜ばしい」どちらであっても、受け止められると思っていたのです。
その時までは。
状況が変わるきっかけ
話を続ける電話主は「本来であれば、私が受け取る結果は違った(喜ばしい方になるはずだった)」と言い出しました。
受け取る結果が変わった理由と、本来すぐに出るはずの回答が、半年以上かかった理由を知らされた途端、さっき受け入れたはずの結果がどうにも受け入れ難くなり、理不尽だと思ったのです。
でもこれは決定事項で、今さら何をした所でくつがえらないとのこと。
私にはどうすることも出来ないので、知らせを受け入れるしか選択がありません。
正式な通知が郵便で届くと聞いた時、すでに結果がわかっているのに、それを受け取ることがとにかく怖い、生きて行けないと感じました。
たかが通知が来るくらいで大げさだと思うかもしれませんが、この時私は、周りから自分を全否定されたと感じていたのです。
でも、私は「電話主から、物事に対応した結果」を聞いたに過ぎません。
周囲が本当に、私を否定していたのでもありません。
私の中で、事実と感情の区別がついていなかったのです。
自分の中にある他人軸の癖
なぜ、事実と感情の区別がつけられなかったのか。
それは、自分の欲の扱い方が関係しています。
私は、欲の扱い方が他人軸のまま、大人になりました。
そのため、私の中には「常に周囲から自分を認められて当然」と感じる、今は自覚しているけれど、当時は無自覚だった前提があります。
自分の欲を扱う際には、この自覚なき他人軸の前提に沿って「必ず、周囲から認められると自分が感じること」を求めて思考し、行動していました。
他人軸の問題は、色々ありますが、周囲から認められたと自分が感じることを求めるので、本当に欲しいヒト・モノ・コトがわからず、手を伸ばせないこと。
仮に欲しい何かを得ても、それを活かせないこと、です。
長年に渡り、この対応を積み重ねた状態が、自分軸・他人軸とは?で紹介している「他人軸の末路」です。
傷つくことから自分を守りたい
当初私は、残念と感じる通知を受け取った「あること」を、やろうとは思っていませんでした。
なぜなら、周囲から自分を認められて当然という前提があるのに「あること」をやって残念な結果を得てしまったら、周囲から否定された(認められない)と感じて自分が傷つくからです。
それが嫌だったから、最初から自分が「あること」をやらなければ、傷つくことを回避できる。
「常に周囲から自分を認められる」状態も保てるし、自分も守れる。
長年に渡り、無自覚の前提に沿って、自分の欲を他人軸で扱い続けたため、必ず、周囲から認められると感じる状態になるよう、辻褄を合わせる動きが生じていたのです。
自分の中で起きていることを、言葉で自覚していなかったからこそ、感覚(前提)に沿って動いていた訳です。
先の見えない未来で何が起こるのかを知りたい
私は、この頃、先の見えない未来を嘆いていました。
いつ事故の後始末が終わるのか。
将来はどうなっているのか。
自分はどうなっているのか、そういったことを知りたいと常々思っていました。
先がわかったら、安心できるのに。
そう考えていましたが、残念と感じる通知を受け取った半年後、事故の後始末を全て終えた時、私は先のことを何も知らなくて良かったと安堵しました。
事前に知っていたら、私は傷つかないよう自分を守るために、何もせずに、全てが終わる日をただひたすら待ち続けてたはずだからです。
「物事に必要な対応が取れる様々なタイミング」を全て逃し、以前よりも厳しい状態に陥り、こんなはずじゃなかったと嘆き、自分を責めていたでしょう。
自分に何が起きていて、なぜ躓いているのかはわからなかったけれど、自らの危さには気づいていて、これ以上、他人軸の末路状態に陥り続けることを避けたかった。
だから、納得を求めて、事故の後始末に取り組んでいたのだと自覚したのは、ずっと後のことです。
自分軸を作っていたから「あること」をやっていた
当初、やろうと思っていなかった「あること」を、何故やることにしたのか。
この頃の私は、事故の後始末について、助っ人の指示のもと「あること」をやると決め、自分軸で動いていたのです。
私は、助っ人と初めてやり取りをした時に、他人軸で対応し、一喝されたことがあります。
あわせて読みたい・助っ人に一喝された時のこと
その時に、これまでと同じ対応ではダメなんだと自覚し、助っ人から言われたことに関しては、全部やると決めていました。
他者から助けを得ながら、自分の欲を自分軸で扱う方法を、少しずつ身に着けていたのです。
自分軸で動く時に顔を出す根強い他人軸
でも、自分軸で動く時も、自覚なき他人軸の前提は、根強く私の中に存在しています。
なので、自分軸でヒト・モノ・コトに対応する時は、いつも他人軸へ戻るよう、促されるのです。
周囲から否定・攻撃されるのではないかと恐れたり、不安を感じたりしながら自分軸で動くので、いつも憂鬱になったり、気が重かったりします。
それでも、「あること」に関する残念なお知らせを受け取る半年前ほど前までは、順調に自分軸作りが進んでいました。
あわせて読みたい・自分軸の作り方
自分軸の作り方に記載している下記の方法を、ヒト・モノ・コトを変えながら取り組んでいました。
- 三段階で「自分がどうしたいのか」を引き出す
- 四段階で関係者に必要なことを話す
- 五段階で結果を得る
感覚的に他人軸に戻るよう引っ張られ、憂うつな思いを抱きながらも「自分軸で対応する方が、うまくいく」と実感し、拍子抜けしたり、安堵したりする経験を、半年ほど前までの一年間で積み重ねていました。
その流れで、「あること」に必要な対応を取ったのですが、回答が出るまで半年以上動きが止まったことが、私の不安や恐怖を大きくし、心の内を重くしていました。
心身のこと、将来のこと、事故の後始末のことなど、いろいろな悩みがあり、いわゆるネガティブな思いも沢山抱いていました。
安定を欠いている所に、「あること」に関する電話が引き金となり、心の内が崩壊したような状態になったのです。
ヒトを変えて同じ問題が起きた
通知の電話が来て、どうしたら良いのかわからないまま、2-3日が過ぎた頃、ヒトを変えて同じ問題が起こりました。
私は、友人らに会い、ご飯を食べながら、お知らせとは全然関係ない話をしていました。
この時の流れで、友人が放った一言により、私は再び「自分を全否定された」「傷つけられた」となどと感じ「もうダメだ」と思ったのです。
友人は私を否定したのでも、悪意があったのでもありません。
私とは別の意見を口にしたに過ぎないのです。
ですが、この時も私の内側では、事実と感情の区別がつけられませんでした。
そのため、「友達に自分を全否定された・傷つけられた」いう思いが私の中で事実となったのです。
ヒトを変えて同じ問題が連続して起きた結果、私は周りの皆が敵のように感じる状態になりました。
「周りが皆、敵のように感じる」は、別の言い方をするなら「誰も私をわかってくれない」「誰も私を認めてくれない」「なんでこんなにイヤなこと(悪いこと)ばかり起きるんだろう。もうダメだ。」
通知を受け取る前にEFTタッピングのセッションを受けようと思ったのでした。
自分軸作りのハードルが上がった時にセッションを受けようと思った
一見、良くなさそうに映る私の状況ですが、この時、自分軸を作っていた私のハードルがぐんと上がっていたのです。
EFTタッピングを積み重ねた今だからわかることなのですが、他人軸で自分の欲を扱い続けてきたために、身に着けられなかった下記の術を、事故の後始末や日々の生活という実践を通じて得ようとしていたのです。
- 本当に欲しいヒト・モノ・コトに手を伸ばすこと
- 必要な場面で堪えること
- 手を伸ばしたからといって、欲しい何かが必ず得られるとは限らないこと
- 自分の行動がすぐに結果として現れる訳ではないこと
- 自分がどうしたいのかをわかって、手を伸ばしてダメなものは、それで良いこと
- 生きて行く上で理不尽と感じることが起きた時に対応をしていくこと
私にとって、初めてのEFTタッピングのセッションは、これらのことを学び、次につなげるきっかけだったのだと、今なら思うのです。
実際に私は、次の数か月間、この段階で学んだことを総動員し、心からの納得を得て、事故の後始末を終えることになります。
でも渦中にある時は、自分に何が起きているのかわかりませんでした。
受け入れ難いと感じる結果に、周りから自分を全否定されたと感じたことが、私にとっての事実となり、残念な知らせを受け取ったら生きていけない、怖いなどと思っていたのでした。
だから、通知を受け取る前にEFTタッピングのセッションを受けることにしたのです。
どんな効果や変化があるのかを知らずにEFTタッピングを選んだ理由
私は最初からEFTタッピングの効果を知っていた訳ではありませんでしたし、どんな変化が得られるのかもわかっていませんでした。
なのに、なぜこの時EFTを選んだのか、理由があるのです。
話は、セッションを受ける一年ほど前にさかのぼります。
事故に遭い、約一年に渡る心身の治療を終えたばかりで仕事や、将来のことなど、いろいろと悩みを抱えて、現状を何とか変えたくて、情報を探していたのですが、思うようなものに行きあたらないのです。
実行しようとすると、心の内はそのまま、表向きは綺麗ごとで装うことになるので、不自然さを覚えていました。
また、部分的な内容も多く、もっと頭も心も納得の行く、自然で、根本的で、現実的で、実用的な方法ってないのだろうか。
そう思っている時に、ネガティブと呼ばれる感情や思考などをありのまま認めることを謳っていた、EFTタッピング提供者のサイトに辿り着きました。
その方は、当時珍しく、ご自身の正直な思いに触れていたことや、言葉を選ぶセンスが好みだったこともあり、いつか何かあったらお願いしようと思いました。
ただ、サイト記事を読んでも、EFTタッピングが自分にとって本当に必要なものなのか、ありのまま認めるとは何なのか、これをやったからってどうなるのかといったことは、わかってはいませんでした。
このような背景がある中で、セッションを受ける機会が巡ってきたのです。
変化や効果が得られることを期待して初めてのEFTセッションを受ける
EFTタッピングは特別な道具がいらず、単純な方法であることは、事前にサイト記事を通じてわかっていました。
セットアップフレーズやリマインダーと呼ばれる「ことば」を作るのも、セッションの先導も、提供者が行います。
セットアップフレーズ・リマインダーとは
期待が後悔に変わる
EFTタッピングのセッションがスタートし、ネガティブと呼ばれる感情や思考などをありのまま認める中で、私の期待は後悔へと変わって行きました。
同じリマインダーを繰り返し喋っていた時
「ばかくさい」
「こんな単純なことで、現状が変わる訳がない」
「何でこんなことやっているんだろう」
などの思いが、次々と湧いてきたのです。
正直、何の変化も効果も感じられず、困惑したり、落胆したりしていました。
EFTをやったら、何か奇跡でも起きて、通知の内容が変わるのだろうか。
そんなこと、起こりっこない。
EFTをやったって、受け取る結果が変わることは絶対にないのだから。
だったら、何で受けたんだろう。
期待する変化と現実とのギャップ
当時はわかっていなかったのですが、他人軸の前提で期待していた「変化」のイメージと、現実との間にギャップが生じていたのです。
長年に渡り、他人軸で欲を扱ってきた私にとっての変化とは
これを言葉で自覚していた訳ではなく、感覚止まりだったので、自分にとっての変化とは何なのかを知らないまま、それをひたすら求めていたのです。
望むようなことが何も起こりそうにないという失望感が溢れる中、「もうEFTやりたくない。やってもムダ!」と思いが湧き上がり、提供者にその旨を伝えて、セッションを中断したのでした。
【EFTタッピング効果その1】感覚と言葉の連動に気づく
数分程、提供者と話をし、一息ついてから再びセッションを開始したのですが、さっきとは違う変化が自分の中で起きていることに気づきました。
ネガティブと呼ばれる感情や思考を表す、リマインダーを繰り返しているのに、私の両胸の間で、今まで味わったことのない清涼感のような、すっきりする感覚・感じが生じるようになったのです。
考えれば当たり前なのだけれど、自分の内側の感覚と、自分が放つ言葉が連動していることに、生まれて初めて気づきました。
私にとっては、この気づきが、初めてのEFTタッピングのセッションで得た最大の効果と言えます。
なぜならこれは、自分の感覚に合う言葉を選び、読み解くことができれば、自らを理解することができるということであり、後に私の人生を大きく変えるきっかけとなるからです。
提供者が繰り返し放つ、長めのリマインダーを追いかけて喋るのが精いっぱいでしたが、感覚と言葉が連動する面白さにはまった状態でセッションが進みます。
残り二セットという所で、提供者が作ったリマインダーを口にしていた時、違和感が生じたため、それを伝えて、自分に合う言葉に置換してもらい、、最後のEFTをしました。
清涼感が広がる中で、通知を受け取ってももう大丈夫、生きていけると思いました。
でも、同時に、「EFTをやった(感覚と言葉の連動をつかんだ)からといって、人生が変わる訳じゃないし」という思いもありました。
「自分軸でつかんだもの」と「根強い、自覚なき他人軸の前提」とが入り混じる中で、私の思考は揺れていたのです。
【EFTタッピング効果その2】視点が変わる
セッションの帰り道、今まで体験したことのない、安堵感のような、多幸感のような、不思議な感覚が私の中で生じていました。
通知の内容も、目の前に起きていることも、うまくいっていない現状も、何一つ変わっていないのに、私の目に映る景色が違って見えるのです。
何が起きているのか、全然わかりませんでした。
後にEFTに取り組むようになってから、視点が外から内側へと向いたことによって、物事の捉え方が変わったために、起きた現象だと知りました。
これもまた、私がセッション当日に実感した、EFTタッピングの効果です。
通知を受け取った時のこと
家に戻ると、通知が届いていました。
中を開けると、電話で聞いていた通りの内容が書かれてありました。
ただそれだけ。
ほんの数日前まで、生きていけないとか、皆が敵に見えるとか思っていたのが、嘘のようだと思いながら、通知を眺めていたのを覚えています。
変化って、結果が思い通りになることじゃないんだな。
EFTで、自分の感情や思考をありのまま認める中で、視点が変わり、これまでとは違う考え方や捉え方があるのだということを知識ではなく、実体験を通じてつかんだのでした。
ただ、自覚なき他人軸の前提も健在で、「EFTをやったからといって、人生が変わる訳じゃないし」という思いも変わらず持っていたのです。
EFTタッピングに対する唯一の不満
EFTタッピングのセッションで唯一の不満はスケールが面倒くさかったこと。
スケールとは、EFTタッピングの変化や効果を確認するために、一セットごとに数値を聞かれること。
4と5の違いって何だろう?
7ってどういう意味なんだろう。
私にとって数字が何を意味するのかを、私自身が考えてこんでしまうので、途中から面倒くさくなって、適当に答えていたのですが、それがまた苦痛で・・。
でも、スケールに対し、大きな不満を抱いたことが、後に思いがけない展開へとつながっていくのです。
セッションで生じた変化や効果が未来に活きる
セッションを終え、日常生活に戻った私は、特に何も変わらないと感じていました。
タッピングをしている最中に得た効果が、どのように自分に影響を及ぼしているのかも、わかっていませんでした。
先ほど書いた通り、私は、残念な知らせを受けた半年後に、事故の後始末を終えるのですが、その日、アイホージュの立ち上げを決めました。
この時、事故の後始末を通じて、自分軸を作り続けていた私のハードルがぐっと上がったのです。
「納得して事故を終わりたい」「アイホージュを立ち上げたい」というそれぞれ別の思いに伴う感覚が同じだと気づいて、立ち上げを決めたのですが、同時にこのようなことも思っていました。
「ということは、また、あの憂うつで、気乗りしないまま動く日々が続くのか。
(他人軸に引っ張られながら自分軸で動く日々が続くのか)
もう助っ人もいないのに。」
事故の後始末は、何をやるのか指示を受けて、それに対し、自分がどうしたいのかを考え、行動していけばよかったのです。
でも、アイホージュの立ち上げは、自分がどうしたいのかに沿って、一つ一つ思い感じ考え、行動しながら、作り上げる必要がありました。
立ち上げを決めたはいいけれど、何から手を付けたらいいのか。
どうしたらいいのかわからない。
そう感じていた私のお供となり、お守りとなり、指針となるのが、EFTタッピングだったのです。
再びEFTタッピングに巡り合い効果や変化を実感するまで
アイホージュの立ち上げを決めて、三カ月ほど経った頃、私は再び、EFTタッピングに巡り合い、やり方を習い、変化や効果を実感するようになります。
でも、すぐにそうなった訳ではありません。
EFTタッピングのやり方はわかるけれど使えない
EFTのやり方を習った直後の私の状態は下記の通り。
EFTタッピングのやり方は知っている
ネガティブな感情をありのまま認めたらすっきりするのもわかる
でも、自分の現実に対して、EFTタッピングをどうやって使っていいのかわからない
やり方はわかるけれど、使い方がわからなかった私は、あれも足りない、これも足りないと感じて、EFTとは別の施術に関する講座も出るようになりました。
同じような志の仲間がいることによって、私の中の自覚なき他人軸の前提が満たされ、安心し「何かを成しているような気になっていた」のです。
でも実際の所、アイホージュの立ち上げは、何も進んでいません。
やりたいことを頑張り、進んでいるように感じるけれど、立ち上げにあたり、本当に必要なことをやっていなかったのです。
私は、アイホージュのサロン作りをする中で、椅子一つ動かすのさえ強い抵抗を覚えるようになり、遅々として進まないことに危機感を覚えていました。
何の役に立つのかわからないままEFTタッピングを使い始める
金銭的な余裕がなくなってきたのを機に、何の役に立つのかもわからないまま、苦し紛れに、EFTタッピングを使い始めました。
EFTタッピングのやり方を学ぶ前、私は「提供者が違っていてもEFTは誰がやっても同じ」と思っていました。
でも、実際に習ってみて思ったのは「同じEFTであっても、提供者によって目的やプロセス、得られる結果など、中身が違う」ということ。
二つの方法を使い比べた私は、セッションで知り得た「感覚と言葉の連動」をもとに、「感覚に合う言葉を選んで、自分の感情や思考をありのまま認める」EFTをするようになりました。
この頃は、EFTタッピングをアイホージュのサービスとして提供する予定ではありませんでした。
そのため、セッション時に唯一不満だったスケールを使わず、代わりに一セット毎に「今、何を思い感じているのか」自問しながら、変化や効果を確認していました。
- EFTの手法を使って、自分の感情や思考を自分でありのまま認めること
- EFT後の自問自答
これら二つを組み合わせたものが、後にアイホージュのEFTとなります。
変化と効果を実感したことでEFTタッピングの提供を開始する
一人でEFTタッピングを使い、変化や効果を実感するようになって、五か月後。
アイホージュを立ち上げ、当初の予定にはなかった、EFTタッピングの提供を開始し、初めてのお客様を迎えました。
「あのこと」に関する、残念なお知らせをもらってから、一年と二カ月後のことです。
もし、残念なお知らせを受け取った時に「翌年、アイホージュを立ち上げEFTタッピングの提供を開始すること」を知らされたとしても、私は困惑するばかりだったと思います。
あの頃の私にとっては、半年後にアイホージュの立ち上げを決めることでさえ、あまりに話が飛躍しすぎていて、一つも想像がつかないからです。
でも、実際は、一つ一つ、地道に取り組みを進めているので、いきなり何かが大きく変わった訳ではないのです。
七か月で、アイホージュの立ち上げという思った以上に高い山を登れたのは、それ以前に、事故の後始末を通じて、他者に助けられながら、自分軸作りをしていたから。
自分軸を作る過程で、ハードルが上がった時に、セッションで効果を感じていたから。
アイホージュの立ち上げにあたり、セッションで効果を感じていたことを元に、一人でEFTタッピングをし、自分で自分をありのまま認めることが、根強い他人軸に対応しながら自分軸を作ることへとつながっていったのです。
これが、見えない未来への道しるべにもなり、お守りとなり、指針となっていたのです。
EFTタッピングを十数年積み重ねた今の私が実感している効果
EFTタッピングを十数年積み重ねた今の私が、実感している効果があります。
それは、自分の内側の感覚が言葉を持つようになったこと。
ネガティブな感情や思考をありのまま認め、段階を踏んで掘り下げると、自分軸の「自分がどうしたいのか」を引き出せたり、原動力を生み出せたりすること。
ヒト・モノ・コトに対応して、何かうまく行かないと感じる時、EFTを使って感覚を言語化すると、傷つかないよう自分を守ろうとする他人軸の癖が顔を出していると気づけるようになったこと。
癖に気づいた上で、自分にとって本当に必要なことや、欲しい何かに手をのばして、それを活かして、次につなげられるようになったこと。
知らず知らずのうちに、ハードルが上がる中で、ヒト・モノ・コトを変えながら、他人軸から自分軸へ軌道修正するプロセスを積み上げてきたことが、自分の欲を扱う際の土台となっています。
この土台もまた、私が十数年、EFTタッピングを積み重ねたことで得られた効果であり、変化でもあるのです。
まとめ
本記事では、私・伊藤が、初めてセッションを受けた十数年前のことを振り返りながら、どんな効果や変化を体験していたのか個人的な話をしました。
EFTタッピングの効果や変化は、すぐに感じられるものもあれば、取り組みを積み重ねることで初めて得られるものもあります。
アイホージュでは、この記事で紹介した、EFTタッピングの効果や変化をクライアントさんが実感し、人生の指針・お供・お守りとなるよう、取り組みを行っています。