ご挨拶

アイホージュ主宰伊藤みつるの写真

自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。

主体的に、幸せに生きることを目的とした「どうしたいのかわからない自分との向き合い方」の実践者であり、提供者であり、伴走者でもあり、追究者でもあります。

2009年にアイホージュを立ち上げて以来、
1・自分を尊重する
2・自分と他者の違いを尊重する
という2つのルールに則って、ネガティブな感覚・感情を、EFTタッピングの手技を用いて、ありのまま認め、掘り下げるという1つの方法をあらゆる場面で使い続けています。

14年に渡り、自身の実践・有料サービスの提供を通じて知り得た情報を言語化、知識化・体系化したのが、自分軸が身につくEFTタッピング、他人軸から自分軸への軌道修正術などと呼んでいる「どうしたいのかわからない自分との向き合い方」です。

少し長くなりますが、ここから、なぜ私が「どうしたいのかわからない自分との向き合い方」を提供しているのか、その背景に何があるのかをお伝えします。

もし、あなたが、この方法に興味をお持ちであったり、試してみたい、取り組んでみたいなどと思われたりした場合は、判断材料になるのではないかと思います。

ご面倒でも一読下さるよう、お願い申し上げます。

「他人軸をやめたい大人の女性のための自分軸の作り方」ができるまで

他人軸のまま大人になった私に起きていたこと

私には、言葉には表し難い「学んだことや得た情報を、自分の現実を変えることへと結びつけられない」という悩みがありました。

この悩みは、ぼんやりとした不安や恐怖と化した状態で、なす術がないまま、私の中に存在していました。

振り返れば、この悩み。

表現こそ違いますが、小学校高学年の頃に感じていた「勉強の仕方がわからない」と一緒。

自分は運で何とかなっているような感じがする。

いつか、何ともならなくなるのではないか。

そんなこともあって、当時は「もっと他の方法があるのではないか」「運に関係なく生きたい」という思いは自覚していました。

大人になり、不安や恐怖は、働くことで軽減したものの、30歳で独立を決めて退社してからは、募る一方。

「独立」という、自分が本当に欲しいものに手を伸ばしたはずなのに、いつも「うまくいきそうにない」とか「いろいろなものを壊してしまうような気がする」と感じていました。

この状態は「他人軸」で大人になった私が、独立を機に「自分軸」で動こうにも、その術がないことを表しています。

自分軸で生きたい

今となっては「運に関係なく生きたい」というのは「自分軸で生きたい」という意味だったとわかります。

過去十数年の取り組みを通じて明らかにした「周りを尊重しつつ、自分(の意志)を活かして生きることが幸せである」ということが、人間の本質だとするならば。

幼く若いうちは「他人軸」で何とかなっても、その先は、生き辛さへとつながっていくのであれば。

「なす術がない」私が、不安や恐怖を覚えるのも、術を探すのも、当然だと思うのです。

悩みを言葉で自覚する

悩みを、言葉で意識するようになったのは、2006年。

大型トラックに追突されるという、過失のない事故に遭い、次々出てくる症状に参り、自らを立て直せなくなった、36歳の時のことでした。

前年から立て続けに、受け入れ難いと感じることが起きていて、運がなくなったとも感じていました。

学んだことや得た情報を、自分の現実を変えることへと結びつけらない。

あれもこれも、全てやらなければ現状が変わらないような気がする。

焦りを覚える中で、たくさんの疑問が湧きました。

生きる上で、押さえる基本とは何だろう。

基本であれば、普段使いになるから、そんなに難しいことではないはず。

自分を立て直せないのはなぜなのか。

「うまくいかない」と「うまくいく」の「間」には、何があるのか。

いつか、この状態から抜けられたら、これらを事細かく明らかにしたい。

後に私は、事業の立ち上げを通じて、この思いを十数年かけて実現し「他人軸から自分軸への軌道修正術」として公に出すことになります。

ただし、この時点の私には無理な話。

日常の実践による、事前準備が必要でした。

自分がどうしたいのかを知って助けを求めた

「納得して事故の後始末を終えたい」

そう思っていた私は、他者の助けを得ることにしました。

自分のことなのに、第三者の誰かに決められたくない。

でも、事故の後始末に関する知識は全くない。

一人でどうにかできることではないと判断したからです。

ここで「被害者も勉強して実りある終わりを」と謳っていた、助っ人を探し出しました。

私は、具体的な指示としての助けを

  • 事故の後始末の助っ人
  • 医師

から得ています。

現状把握から始まった

助けを得た後、最初に取り組んだのは「現状把握」でした。

道に迷った時に、現在地の確認から始めるのと同じことです。

事故後の治療を通じて、精神科の医師からは

「あなたの強い不安や恐怖は、たくさんの問題を抱えているのに、それが何一つ解決していないことから来ている」

と言われ、すごくほっとしたことを覚えています。

「納得して終わりたい」のはわかっても悩むばかりで、自らの現状を把握できないのは、外に意識を向けている「他人軸」ならでは。

助っ人からは、切迫した状況にあることを、知らされました。

何をする必要があるのかを知った後、すぐに行動することを促されました。

他人軸のまま自分軸で行動できるのか

現状把握の後、助っ人とメールでのやり取りを通じて、私がやっていたこと。

それは、他人軸の視点・思考のまま、自分軸で「どうしたいのか」に沿って、行動すること。

これは、心理的な負担がものすごく大きく、実行中は生きた心地がしませんでした。

でも、行動の結果は「これでうまくいくんだ?」と拍子抜けしたり、安堵したりすることの方が多かったです。

例えば「絶対に嫌がられるだろうな」と思いながら、必要な方たちに連絡を取る。

具体的な話をすると、皆、心よく引き受けて下さり、安堵する。

この繰り返しでした。

だんだん慣れてはきたものの、ハードルが上がる中で「相手がどう思うのか」を考え、いつも気が重くなっていました。

心理的な負担が大きくても、自分軸で行動し続けられた理由

心理的な負担が大きくても、自分軸の「自分がどうしたいのか」に沿って、行動し続けられたのには理由があります。

それは「助っ人から指示されたことは、全部やる」と決める出来事が、最初にあったからでした。

思考の上で、他人軸から自分軸へ軌道修正した瞬間のこと

助っ人からの最初の指示に対し、私は
「やりたくない」
と答えました。

なぜなら、この時、他人軸のまま、ぼんやりと「助っ人が、やりたくないという私の思いを察して、面倒なことをすっ飛ばして、望む結果を与えてくれる」ことを、求めていたからです。

助っ人から
「やりたくなければ、やらなければいい
これはあなたの問題で、私の問題ではない」
と返ってきた時、頭を殴られたような衝撃を受けました。

はっきりと「今までのやり方(他人軸)のままでは、ダメなんだ。」と思ったのです。

いわゆる思考、感情の上で「他人軸」から「自分軸」への軌道修正をした瞬間でした。

一回軌道修正したからといって何もかもが変わる訳じゃない

でも、一度、軌道修正したからといって、すぐに視点や思考、選択、行動などを、変えられたり、それが続いたりする訳ではありません。

物事に対応するハードルは、上がって行きますし、その度「他人軸」の自分が、顔を出してきます。

全てが終わるまでの2年間、私は「自分軸」の視点・思考・行動に伴う、心理的な負担を抱えたままでした。

助っ人から「あなたは、どうしたいのですか?それが一番大事です」と言われ続け

それに対して「わからない」と感じながら、頭を捻り続け

ハードルが上がって行く物事に、心理的な負担を抱えながら行動しては、安堵することを繰り返します。

やりたくないと思うことなんて、日常茶飯事でした。

EFTタッピングとの出会い

最終段階に入る前の段階で、心が折れる出来事が起きます。

今なら、ハードルが上がっていたのだとわかるのですが、初めてEFTタッピングのセッションを受けました。

単純なやり方に、最初は「こんなことで変わる訳がない」と思いました。

でも、自分が放つネガティブな言葉が感覚にフィットすると、清涼感が湧くことに気づいてから、面白くなったのです。

目に映る景色が何一つ変わっていないというのに、全然違って見えるという、自分軸の視点を体験。

その視点で、現実を受け止められるようになった後に、最終段階へと入ります。

プロセスも、結果もどちらも大事

一つ一つ考え、地道に書類を作成しながら心が折れる。

それでも、自分がやると決めたのだからと、気を取り直すことを繰り返しました。

自分で作成した書類を通じて、主張をし、納得を求めて得られた結果に、心から満足しました。

何が欲しいのかを分かった上で、必要なプロセスを踏むことが大事。

それを学んだ2年間でしたが、当時は、なぜ、納得を得られたのか、言葉で説明をすることができませんでした。

もし、他人軸のままだったら

もし「他人軸」のままだったら。

そう考えたことがあります。

助っ人の言葉に傷つき、理由をつけて、簡単にやめてしまったのではないだろうか。

「嫌がられるだろうから」と遠慮したつもりで何も言わなかったのでは?

「こんなに酷い目にあったのだから、誰かが考慮してくれるはず」と思って必要な行動を取らずに、タイムリミットを迎えたのでは?

「実際に得られた結果」だけを最初から、与えられたとしたら、不満しか出てこないはず。

「こんなはずじゃなかった」「誰もわかってくれなかった」などと、恨みつらみを覚えて、今も引きずっていたはず。

自分に対して、苛立ちを覚えながら、今を生きていたのかもしれない。

そう思ってぞっとしたのは、ずっと後のことです。

アイホージュの立ち上げを決めた日のこと

被害者の立場を終える日の朝に、諦めていた「事業を立ち上げたい」という思いが湧きました。

「無理だって」と押さえ込もうとした時に「納得して終わりたい」と「立ち上げたい」に伴う、感覚が同じであることに気づきます。

この感覚をどこまでも追いかけて行ったら、立ち上げができるのではないか。

そう思い、やると決めたのでした。

物事のハードルが上がる時

高揚していた時期を過ぎ、気が重くなってきました。

なぜなら「立ち上げたい」という感覚を追いかけるとは、私にとって

心理的な負担をかかえたまま「自分軸」の「事業を立ち上げたいという思い」に沿って行動すること

を意味していたからです。

事故の後始末をしていた時期を思い出し、憂うつな気持ちになったのは言うまでもありません。

助っ人は、もういない。

一から自分で決めて、行動する必要がある。

物事のハードルも、ぐっと上がりました。

これは「後始末」を納得して終えたからこそ、できること。

物事には、順番があります。

「後始末」と「立ち上げ」の順番が逆だったら、ムリな話。

飛ばして一気に現状を変えようとしても、術がなければ、必要なところまで戻らなければなりません。

やると決めたら機会が向こうからやってきた

事業の立ち上げを決めた直後のこと。

事故後に、期間限定で分譲マンション販売の手伝いをしていた頃の、不動産屋さんから電話がかかってきました。

マンションにお住まいのスナックのママが、私に働かないか、と言っているというのです。

普段お酒を飲まないし、そのようなお店で働く頭もなく、自分には関係ないと思って、即お断り。

終わったと思っていたら、勧誘がしつこく、結果的に、週一回だけ働くことに。

でも、個人事業主のママと働くことによって、アイホージュをどのように作るのかを考えられるようになりました。

私には、必然的なことだったのです。

アイホージュを女性専用にしたのも、ここで働いたことが関係しています。

詳しくは触れませんが、ここで働いたことは、私が仕事をしていく上で、大きな意味があったのです。

2つのEFT

私が、EFTタッピングの講座を受けたのは、スナックで働いていた時期のこと。

たまたま、講座開催情報を受け取り「EFT、良かったなあ」と思い、受講を決めたのでした。

受講して気づいたのは、同じEFTでも提供者によって内容が異なること。

私の場合は、セッションで受けた「思考や感情をありのまま認める」内容が合っていました。

2つのEFTがあると知ったことは私にとって、ラッキーでした。

どちらか1つしか知らなければ「受けた内容」「習った内容」に忠実であろうとしたはず。

でも、2つのやり方を知ったことで「自分に合う内容」を選べたのです。

これにより「ありのまま認めるという、基本を押さえて、感情のみならず、思考や言動などにも手をかける」という、現在のスタイルに落ち着きました。

他人軸のあれもこれも足りないで動けなくなる

アイホージュを立ち上げるために、やることはたくさんある。

でも、なぜか気持ちがついて来ない。

物事を進められなくなりました。

最初は、自分に力がないからだと思いました。

あれもこれも足りない。

完璧にならなければ、立ち上げはムリだ。

「他人軸」による思考で、動けなくなっていたのです。

なので、この思考状態のまま、施術に関する講座に参加していたのですが、困ったことが起きました。

事故で退職してから3年近く経っていたこともあり、金銭的に心許なくなってきたのです。

アイホージュの立ち上げにEFTタッピングを使う

もう、何をしていいのかわからない。

やり方を習ったはいいけれど。

ネガティブな感情をありのまま認めたらいいのはわかるけれど。

でも、これが何に効くのか、どうすればいいのかが、わからない。

そう思って、苦し紛れに、EFTタッピングを使い始めました。

今ならわかるのですが、この時、ネガティブな感情や思考などを、ひたすらありのまま認めることで「自分軸」の行動に伴う、心理的な負担にアプローチをしていたのです。

当たり前と言えば当たり前なのだけれど

「困っていると感じている自分の内側の感覚に、自分の言葉で、自分が直接アプローチできる」と気づいた時に

なんていいものを見つけたんだろうと思いました。

ここから3か月ほど取り組みを積み重ね、2009年にアイホージュを立ち上げます。

世の中の誰かがこの方法を探しているのかもしれない

アイホージュでは、当初、EFTタッピングを提供する予定はありませんでした。

存分に変化や効果を体験しながらも、タッピングで変わるなんて怪しすぎ。

仕事にもしたくないし、誰にも言いたくないのです。

でも、やらざるを得ない状態になり、再び、セルフマインドケアをし続ける日々を過ごしました。

さんざん「やりたくない」を認めるうちに、自分の中からふっと

「この方法を、世の中の誰かが探しているのかもしれない」

という思いが湧きました。

その時、思い出したのは

「学んだことや得た情報が、自分の現実を変えることへと結びつけられない」

と思っていた過去の自分のこと。

私が、この方法をずっと探していたように、誰かが探しているのかもしれない。

変化の再現性はあるのか

ここで考えたのは、変化の再現性があるかどうか。

私は、あると判断しました。

事業を立ち上げたいという思いに伴う、心理的な負担を認めて、必要な行動をしたように、

クライアントさんが、どうしたいのかをありのまま認めて行けばいい。

自身の変化が面白かったから、ありのまま認めるこの先に、何があるのかを見てみたい。

「納得して終わりたい」と「立ち上げたい」「何があるのかを見てみたい」が同じ感覚だと気づいて、どこまでも追いかけていこうと思いました。

こうしてEFTタッピングは、セルフマインドケアとして、アイホージュの運営や、人生のお供として、私に欠かせないものとなったのです。

セッションを開始してからのこと

変化の体験が先行する中、再現性はあると判断し、セッション経験ゼロからスタート。

ブログやウェブサイトの更新を通じて、自身の変化や情報を発信するうちに、県内外からお申込みを頂くようになりました。

これまで述べ1,200名の方に、セッションや講座の提供を行っています。

セッションや講座では、クライアントさんが、ご自身の持ち味を活かし、頭と心が納得した状態で前へと進みながら、セルフマインドケアを体験したり、身に着けられるよう、細やかな伴走を心がけています。

EFTは慣れたら一人でできる?

当初私は、EFTタッピングは、慣れたら一人でもできる、と謳っていました。

確かに目的が「使うだけ」か「感情開放だけ」なら、慣れたら一人でできると言えます。

でも「他人軸から自分軸への軌道修正」を身に着ける場合「一時的な伴走と、ご自身の取り組みが必要だ」と判断しています。

実際にクライアントさん達に提供して、気づいたのは「慣れたらできる」と謳っていた私には

  • 「交通事故の後始末」をしていた時期に、心理的な負担をかかえたまま「自分軸」の「自分がどうしたいのか」に沿って行動していた
  • 「アイホージュの立ち上げ」の時に、「自分軸」の「自分がどうしたいのか」に沿って行動する際の、心理的な負担にアプローチをしていた

という経験があります。

でも、これらの経験がない状態の方に「EFTのやり方を教えて、ちょっと慣れたからって、他人軸から自分軸への軌道修正をお一人でできるのか」と考えると無理があるのです。

一時的な伴走が必要な時期はあっても、クライアントさんの内側はクライアントさんがアプローチできるのが一番いい。

最終的には、お一人で使うことを目的にしたい。

そのように考えて、2014年からは

  • 体系立てた取り組みの構築
  • 現在の取り組みが、自分やクライアントさんに、中・長期的に活きること
  • 周りを尊重しつつ、自分らしい幸せを育むこと

を目的に、継続セッションに的を絞りました。

結果的に私は、以前の自分と同じように悩む「自分がどうしたいのかがわからない、頑張ってもうまくいかない」女性に特化した、セルフマインドケアを追究することになりました。

ありのまま認める方法を使い、取り組み内容を細部に渡って、言語化・知識化。

これにより、自分やクライアントさん達に共通していた躓きの原因が、「自己犠牲による対処の積み重ねで生じた、他人軸である」ことを割り出します。

日々の悩みや望みに対する、ネガティブな感情や思考を、ありのまま認めることで、他人軸から自分軸への軌道修正が可能であること。

これが、メタ認知能力を育む方法でもあることを知った時の驚きと喜びを今でも覚えています。

一つ一つの変化は興味深く、これらの取り組みが、私の人生をより良いものにするために不可欠だったのは、間違いありません。

私の他人軸の癖

セルフマインドケアを続けるうちに、私は、

「自分がどうしたいのかもわからないし、必要な対応が取れる状態にもない中で、間に合わせのものを得て、一時的に安心した後、こんなはずじゃなかったとか、うまくいかないとか感じる」

という自己犠牲の積み重ねによる、他人軸の癖があることを、言葉で自覚するようになりました。

今も、物事のハードルが上がる時、この癖が顔を出す度に「他人軸から自分軸への軌道修正術」を使って、立て直しをしています。

人生をかけた取り組み

自分軸教習所の「他人軸から自分軸への軌道修正術」は、私の人生をかけた取り組み。

そう言えば、良い話にまとまるのかもしれません。

でも、実際の私は、物事が明らかになる度に、喜びを覚えながらも、人生の始めの段階でつまづきを覚え、誰かに話そうという頭もないまま成長してきたことを、心の底から残念に思っています。

それでも、取り組みを続けて、同じようなことを仰るクライアントさん達や自身の変化を目の当たりにしながら「今から続く、この先の未来」に期待や希望を持っています。

もしかしたら、以前の自分のように「自分がダメだからうまくいかない」と思って、生き辛さを覚えたまま、この方法を探している方が、潜在的に、たくさんいらっしゃるのかもしれない。

相性があるので、合うかどうかは、やってみないとわからない所はあります。

それでも小さな、自分軸教習所が声をあげることは価値があると思っています。

残念という思いや、喜びや期待や希望などが入り混じる思いは、私が、アイホージュとして、自分軸教習所を運営するモチベーションであり、セルフマインドケアを提供する理由でもあります。

クライアントさん達の声

取り組みを続けてきた、クライアントさん達からは

「すごい人になるのがゴールではなく、自分のままで良いとなれるのが良いところ」

「伴走、ガイトの内容が自分仕様で細やかで具体的」

「いろいろな悩みに応用できるので、使い勝手が良い」

「地道に力をつけていけるのが嬉しい」

「パートナーとの関係が良好になった」

「もっと若い頃に、この方法を知りたかった」

「ラクに生きられるようになった」

など、嬉しいお声を頂戴しています。

人間は、もともと自分らしく幸せに生きられるよう、創られています。

ネガティブはなくすのではなく、活かすことで「周りを大切にした上で、自分らしい幸せを育むこと」ことを、あなたにお伝えできたら幸いです。

経歴

北海道札幌市生まれ、青森市に育つ。

短大卒業後、大手建材メーカーに営業事務職として10年近く務めた後、30歳で退職、上京。

遼寧中医大学日本校(現・黒龍江中医大学日本校)に入学。

中国医師陣より、推拿(中国整体)・基礎中医学・生理学などを学ぶ。
卒業後は、派遣事務職として働く傍ら、夜間や週末に都内リラクゼーションサロンに勤務し、技術向上を図る。

34歳の時に、家族の病により、青森へと戻る。
翌年、大型トラックから追突される事故に遭い、怪我は負わなかったものの、心身にダメージが生じ、休職・退職し一年ほど通院。

学んだことを活かそうにも、自らを立て直せない時期を経て、「納得して事故の後始末を終えたい」という、自らの意思を活かす取り組みを開始。

人の手を借り「気持ちがついていかないまま、行動を変え、結果を得ること」を2年以上に渡り積み重ね、心からの納得に至る。

後始末を終えた日に、アイホージュの立ち上げを決めるも、過去の経験から「気持ちがついていかないまま、行動を変えるのは得策ではない」と思ったことが、ネガティブな感情や思考をありのまま認める、セルフケアへとつながっていく。

2009年、38歳の時に、推拿とEFTタッピング(現・他人軸から自分軸への軌道修正術)を提供する、女性専用・完全予約制のリラクゼーションサロン・アイホージュを公開。

2021年に推拿の新規募集を終え、セルフケアサロン・アイホージュに改名。

2023年に、(アイホージュが運営する)自分軸教習所に改名、現在に至る。