体が回復すると心に意識が向く自分に気づく

体と心はつながっている。

今は当たり前に思うのですが、20代の頃は知りませんでした。

振り返ると私の場合は、「体」が回復すると「心」に意識が向くというパターンが多いように感じます。

この記事をお読み下さるあなたはどうですか?

今日の記事では、現在53歳の私・伊藤の、20代から30代前半にかけての個人的な話を紹介します。

この頃に経験したことや、思い感じ考えたことが、推拿(今は常連さんのみ)とEFTという、体と心に関するサービスの提供をするにあたって、大切にしていることへと結びついていきます。

目次

体も心もボロボロだった20代

私は、20代の前半、仕事はしているけれど、ぼんやりと体調が優れない日々を過ごしていました。

疲れやすく、貧血や立ちくらみ、めまいがしたり、気管支炎や、すぐにお腹を壊したりしていました。

肌荒れもひどく、赤らんでいて、かゆみもある。

20代の頃の自分の内側に意識を向けると、どよーんと重く、暗い感じがすごくあるのです。

太れない体質だったので、医師から痩せすぎを注意されるのですが、私は食べる量も、下す量も多い。

すこぶる燃費の悪い体だったのでした。

根本的に体を何とかしたいと思っていたけれど

病院通いと貰う薬が増える中で思ったことは、対処方法ではなく根本的に体を何とかしたい。

でも、実際は、基本をないがしろにして、体が壊れかけた時、根本的に何とかしたいと思いながら、実際は、受け身のまま、特別な秘儀によって何とかしようとする矛盾が私の中で生じていたのでした。

中医薬を扱う薬局に通い始める

当時はまだネット社会になる前。

雑誌に掲載されていた、中(国)薬を扱う薬局に興味が湧きました。

青森にもこんなお店があるんだと思い、出向きました。

腕帯をまきつけるタイプの機器を使って、体内の数値を測定をした時のことです。

薬局の方から「まずはちゃんとご飯を食べて下さい」と言われました。

伊藤

え?そんなこと?

当時、中薬に対し「体を治す、特別な秘儀」をぼんやり期待していたので、当たり前のことを言われて拍子抜けしたのです。

また「ご飯は食べているつもり」だったので、自覚がなく、びっくりもしていました。

小学生の頃から、料理やお菓子作りが好きだったこともあって「栄養学的にはバッチリ」とも思っていました。

でも、そう思っていただけ。

実際は、基本的なことをないがしろにしていて、口内炎が痛いからご飯食べないでビタミン剤ですましてみたり、
お菓子食べて終わってみたりしていたのでした。

伊藤

体の面でも、他人軸だったのです・・。

上司にも食生活のまずさを指摘される

同じような時期に、上司からも指摘されるようになりました。

とんでもないですね。

上司

伊藤さんって、何か飢えている感じがするんだよね。

伊藤

飢えているって・・。

上司には、お姉さんが何人かいて、そのうちのお一方が、若い頃に私のような食生活をして年を重ね、四十代になって体調を崩しているのだと言います。

上司

僕には伊藤さんの未来が見える!

予言される始末。

食生活を改めることにしたものの、私は中学生の頃から、プラスティックのお弁当箱と、密閉された匂いが大の苦手。

自分のために曲げわっぱのお弁当箱を買いました。

上司

人ってね、一回、二回注意したって、直らないから。


ちくちく言い続けるのが効果的なんだよね。

確かにそうなのです。

でも、時折、上司のいなくなる日を狙って、カップめんを持っていくと、動物レベルで感知しているのか、なぜか外出しないのですよね。

上司

あ、またそんなもの食べてる!

チェックが入ることが度々ありました。

伊藤

今思うと、やり取りを通じて、EFTされている感じがします。


当時はうるさいなと思うこともありましたが、習慣が身につき、無事に50代を迎えた今は感謝の気持ちしかありません。

体が回復したらやりたいことに意識が向いた

食事を変え、中(国)薬を扱う薬局にも通い続け、珍しい薬を出されるうちに、中医学に興味を持ち始めました。

少しずつ、体が回復する中で、心の内も前向きになっていきます。

体の調子が悪いままだったら「疲れた、眠い」とばかり思っていたかもしれません。

こちらの記事でも書きましたが、食べる・寝るなどの生理的な欲求が満たせなければ、自分の体も心も守れません。

自分がどうしたいのか、尊厳を守ることも難しくなるのですよね。

推拿を勉強してみたい

27歳の秋、会社の研修で東京に行く機会があり、その時に推拿を受け、体調が良くなったのを感じました。

受付にあったパンフレットを見て「勉強をしてみたい」と思ったのですが、「そろそろ結婚するだろうし無理だよね」となかったことにしました。

二か月後、あと10日もしたら年が変わる頃、付き合っていた方に別れを告げられたのですが、その直前に、私の手元に届いていたのが、WINDOWS98の入った、新しいパソコン。

これは、改めて別の記事で触れますが、私にとって人生や流れが変わる、象徴といっても過言ではありません。

会社を辞めて上京し推拿の学校に入る

翌年の年末、二年後に会社を辞めることを決め、30歳の時に退社し、上京。

中国医師陣の下、推拿や基礎中医学や生理学、気功などを学びつつ、さらに食生活に気を付ける日々を過ごしました。

体がすぐに回復する魔法のような施術に魅了される

入学して二カ月が経つ頃、友人達の「気功の先生の授業、面白いよ」という誘いで、体験授業に参加。

見よう見まねで「站椿功(たんとうこう)」をやっていた時、猛烈に具合が悪くなり立っていられなくなりました。

頭を挙げていることもできず、椅子に座り込み、机に突っ伏してしまいました。

その時、先生が、私の内関と顱息という二つのツボを指で挟み、思い切り強い力で揉むこと1~2分。

先生の口からなのか、ブクブク出している音が聞こえる中、アダダダ・・と耐えていたら、急激に回復したのです。

「あれ、何かすっきりした」

伊藤

あれ・・何かすごくすっきりした

そう思って頭をあげると、すっきりしているだけではなく、安堵感も生じていました。

先生

ずいぶん毒が溜まっていたネ!

上京し、気が張る中、ぼやんとした不安や恐怖心は感じていても、仕事と学校の両立で疲れがたまっていたことには、全然気付いていなかったのです。

魔法のような施術に魅了され、この先生について行く!と決めました。

自分の体は自分で守る

先生に師事しながら、「自分の体を自分で守ること」「人の体に触れる以前に自分を整えること」「学んだことを自分に活かすこと」を教わりました。

引き続き、食生活に気を付けたり、授業や治療を通じて、魔法のような施術を受けたりしながら、一年が過ぎる頃。

家族が大病を患い、手術をすることになりました。

先生から「半年くらい青森に帰って、勉強したことを役立ててきて」と言われ、気持ちがついていかないまま、一時的に東京を離れました。

私が先生に師事していたのは、この一年だけです。

魔法と感じていたものの正体

後に、EFTを提供するようになってから、私が魔法のようだと感じていた、先生の施術は、日々の積み重ねの賜物であることに初めて気付きました。

伊藤

長きに渡り、基本を押さえた上で、臨床を積み重ねてきたからこそ、瞬時に的を射た判断をしたり、対応が取れたりするのであって、魔法でも何でもなかったのか。

地道に自分の体を改善しつつも、気持ちは魔法を追いかけていた私。

あの時、先生から自立・自律を促されていたのだとも気づき、良い師に巡り合ったのだと思いました。

体は元気でも心の扱い方がわからない

半年後、32歳の時に、再び東京へ戻り、フルタイムで事務の派遣をしつつ、夜や土日にリラクゼーションサロンにて技術向上に励みながら、起業の準備を始めました。

「起業したい」「できそうにない・うまくいきそうにない」
「頑張っていればいつか何とかなるのではないか」「頑張ってもどうにもならないのでは」

相反する思いに揺れる自分に気づいていたものの、どうすることもできず、忙しくスケージュールを詰め込むことで見ないように過ごしていました。

食生活を整え、ダブルワークに耐えうるほど、元気になっていた私は、自らの内側に意識を向ける余裕がありながら、その扱い方がわからなかったのです。

私が、その方法を知るのは、まだしばらく先のことです。

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