自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
納得したいのにやりたくない
「自分のことなのに、自分のいない所で、自分のことが決まるのはイヤだ。納得して終わりたい。」
そう思って助っ人を探し出し、交通事故の後始末をすることを決めた・・までは良かったのです。
でも、私はいつも、納得して終わりたいのに、やりたくないと感じていました。
それでも、やっていた理由は、下記の記事で触れた通りです。
助っ人から「やりたくないなら、やらなければいい。これはあなたの問題で、私の問題じゃない」と言われた時。
自分のずるさを見透かされたような気がして、バツの悪い思いをしたのを機に、出された指示は全て実行すると決め、やりたくないという気持ちは置いてきぼりにして、行動を変え、結果を得続けてきました。
今日の話は、事故に遭い、一年ほどの治療を経て、症状固定をした後のこと。
助っ人から次の指示が出て「やりたくない」と思った所から始まります。
やりたくないけれどやらなければいけないことがある
次の指示メールが助っ人から来ました。
具体的な内容は触れませんが、こんな感じのことが書かれてありました。
次にやることは〇〇。
なぜ〇〇をやるのか。
そのために、何をする必要があるのか。
これが、どれだけ重要なことなのか。
とにかく不備のないよう、注意を払って進めること。
メールを読んで、何となく意味はつかみました。
ただ、後始末の知識も、馴染みもない私にとっては、ピンと来なかったというのが正直な感想です。
だから助っ人がいるのですけれどね。
メールを読んだ私は、お約束のように、面倒臭いとか、やりたくないとか思っていました。
頭では納得して後始末を終えたい思っているのに、感覚的にはやりたくないのはいつものこと。
思考、感情の扱い方が他人軸のままなので仕方がありません。
関連記事・あわせて読みたい
これを飛ばして、次の段階へと進むこともできます。
でも、それは、納得して事故の後始末を終えるのを諦めることを意味していました。
「やりたくないなら、やらなければいい。
これはあなたの問題で、私の問題じゃない」
最初に助っ人から言われた言葉を頭の中で浮かべ、ため息をつきながら、やりたくないけれどやるしかないと思いました。
やりたくないという思いに向き合う体験は未来で役に立つ
ここから約2カ月の間。
一つの結果を得るために、やりたくないという思いと向き合いながら、自分がどうしたいのかに沿って、関係する方々と必要な話をしたり、聞いたり、資料を集めたり、書類を作成したりしていきます。
この体験から私が学んだことは、下記の通り。
- 最初が肝心、何とかなると楽観で物事を進めてはいけない
- 細部を疎かにしない
- プロセスが良くても、自分の最後の一手によっては水の泡になることがある
- 全てはつながっている
- 結果に執着せず、やるだけやったらはあとは委ねる
本記事では、これら学んだことを、順に紹介します。
この体験は、後の人生で、多いに役立ちます。
普段私が、EFTタッピングを提供する際に、押さえるポイントがいくつかあるのですが、これらは、この時に学んだことが土台となっています。
1・最初が肝心
早速、ある場所へと出向き、関係者に書類の記入をお願いしました。
返却された書類を見た時、無意識のうちに、自分を否定されたと感じて、気が重くなりました。
実際は否定されている訳ではなく、思考が他人軸のままだったので、そう感じたに過ぎないのです。
どうせ私なんて・・と思いつつ「この内容のまま、物事を進めてしまったら、通るものも通らない。」という気持ちになりました。
「何とかなる」と自分に言い聞かせたり、「大丈夫」と楽観視したりしながら進めていくのは無理があると感じ、助っ人にメールで相談をしました。
回答には、関係者の事情に関する説明と「書き直しを依頼すれば大丈夫。問題ない。」ということが書かれてありました。
やりたくないという思いに向き合う
書き直しの依頼かあ・・。
やりたくないなあ。
今回、言わなくてはいけない相手のハードルが、私の中でぐっと上がっていたのです。
怖すぎて、言えそうにないんですけれど・・。
絶対に断られるだろうな。
当時、自覚がなかったのですが
断られる=自分を否定されたと感じる
という状態だったのです。
そのため、傷つきたくないという思いが湧いていたのでした。
でも、これまでだって、そう思いながら行動だけを他人軸から自分軸へと変え、結果を得てきています。
だから、やりたくなくても、やるしかないのです。
自分は何を求めているのか
「私は、どこをどのように書き直してもらいたいのか」を考えました。
自分が望む結果を得るために、限られた短い時間の中で、忙しい関係者に書き直しを依頼するのですから、具体的な内容を提示しようと思ったのです。
内容がまとまり、日を改めて、ある場所へと出向きました。
自分の番が来るまで、生きた心地がしませんでしたが、準備していた内容を伝えた所、先方が快諾。
依頼した通り、書き直しをして下さったのでした。
拍子抜けすると共に、安堵した私の中で、周囲に対する感謝の気持ちが溢れ、嬉しさのあまり、涙がこぼれそうでした。
これ以降も、ハードルが上がる場面が何度かあるのですが、この時に比べたら、大したことがないと感じるほど、私にとってはキツイことだったのです。
でも、ここでやりたくないことをやり、キツイ思いをしたからこそ、次のハードルがラクになったのでしょう。
私にとって、とても素晴らしい体験になりました。
今振り返っても、あの時踏ん張って良かったと思います。
2・細部を疎かにせず、ルールを守る
最初の大事な所を押さえた後、私がやっていたのは、書類関係の不備を一切なくすこと。
一つ直して、これで大丈夫と思って帰路につく。
何度も見直したというのに、また別の小さな不備を見つける。
「これくらい、大丈夫だろう」
「でも、これがネックになるのかもしれない」
そう思い、助っ人に確認しては、面倒に思いながらも、離れた場所へと出向いて、正式な手順を踏む。
これを、5-6回繰り返しました。
なぜ一回で見つけられないのかが不思議になるほど、後から後から出て来るのです。
一度だけ「これくらい大丈夫じゃないか」と思い、助っ人に「私が、こういうことをしたらどうなりますか?」と
質問した時があります。
その時の回答は「それをやったら、全部無効になる」
ひいいいいい。
今、あの頃を振り返って思うのは、その場のルールに則って、正式な手順を踏むことが、自分を守るということです。
3・プロセスが良くても、最後の一手によって水の泡になることがある
地道な作業を経て、準備が整い、最後の一手を打つ段階へと辿り着いた時。
「必ず守って欲しい」という助っ人の指示に沿って、実行しました。
どんなに最初の段階で大事な所を押さえて、細部を疎かにせずに、正式な手順を踏み、全て不備なく揃えたとしても、最後の一手によっては、これまでの積み重ねが水の泡となる。
そうなったら、どうしようもなくなることを、事前に助っ人から知らされていたのです。
無事に関門を突破する時に、思わずニヤニヤする自分がいました。
4・全てはつながっている
でも、最後の一手だけを決めても、最初や、細部、プロセスなどが疎かだと、結果には結びつかないのですよね。
全てはつながっているのです。
5・結果に執着せず、やるだけやったらはあとは委ねる
やるだけやった後、どんな結果になるのかは、第三者が決めること。
どうなるかは私にはわからないのです。
必ず、頑張りが報われるとも限りません。
二か月間、重箱の隅をつつくような細かい作業をし、最善を尽くしてきたので、終わった時は安堵でいっぱいになりました。
結果に執着せずに済んだのは、「知らないことだらけだったので、どんな結果になるのか、よくわかっていなかったから」
やりたくないことに向き合った結果が出る
最後の一手から二カ月が過ぎた頃。
結果が出ました。
「あ、こういうことか」と初めて理解すると共に、頑張って良かったと思いました。
「納得して後始末を終える」という最終目的地に向かう過程の、大きな一つの課題を終え、前へと進んでいきます。
実体験を通じて、やりたくないけれどやらなければいけないと踏ん張ったことが、力となることや、未来へつながっていくことを、まだこの頃の私は知りません。