自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
このEFTタッピングを始めた時、私は「どこまでも自分の感情や思考、言動などを、ありのまま認める」ことにこだわりました。
その過程で
- 自分を尊重する
- 自分と他者の違いを尊重し、必要があれば合意点を見出す
という、他人軸をやめ自分軸で生きるための、二つの基本を割り出しました。
これら二つの基本を押さえたEFTタッピングをすることが、最善につながることも、実践を通じてわかったので、セッションや自身の取り組みは、「基本に則り、どこまでもありのまま認める」ことを徹底していたのでした。
ありのまま認めるこの先にあった課題
ありのまま認める、この先に何があるのかを見てみたいと思っていた私の目の前には、いつも課題がありました。
取り組み内容の進度や自身の成長に沿って、課題は変わっていきました。
直近では、「他人軸をやめ、自分軸で自分らしく生きる」というテーマを掲げていました。
でも、このテーマは、私にとって、うまく言葉に表せない、ちょっした引っ掛かりがあったのです。
他人軸は、なぜやめなければいけないのかと問われたら、
周囲の承認と安定を求めるために、肝心な対応が取れずに、悩みが広がっていくのに、手が打てないから
と答えていました。
でも、他人軸って、短期的な周囲の承認で、喜びが生まれたり、人に役に立つと感じたりもするので、なかなかその怖さがうまく伝えられず、もどかしさが常にあったのです。
ですが、このもどかしさをも、ありのまま認め続けていくと、自分の中が満ちていきます。
次なる領域へと辿り着き、新たな課題が見えてきます。
現在の課題は、「一般の、一個人として、失われた40年の阻止」と「●●ガチャから抜け出し、自分として生きる」
大それた話と感じるかもしれませんが、取り組み内容はこれまでと何ら変わりがないのです。
個人的には、最初、この課題に辿り着いた時。
EFTタッピングを始めた頃の、「やりたいけれどやりたくない」が顔を出しました。
いつものお約束ではあるのですが、十数年の集大成で、やっぱりありのまま認め続ける、この先を見てみたいし、何よりも希望があるのです。
だって、他人軸って、「のびしろがたくさんある」状態。
自分の感情や思考、言動などを自分でありのまま認めることを通じて、自分を活かしたら、行ける場所であるはず、なのです。
自分のことなのに自分で何一つ選べない中から自分がどうしたいのかを選ぶ
他人軸から自分軸の軌道修正は、最初、悩みを題材にEFTをしていきます。
これは「自分のことを自分で何一つ選べない中から、自分がどうしたいのかを選んでいく」という取り組みでもあるのですが、およそ二年を経て、「自己超越」という所に辿り着きます。
ここでは、「選べない中から選び続けた、集大成の自分がどうしたいのか」が生まれます。
自己超越が、ガチャの抜け所です。
ここからは、「集大成の自分がどうしたいのか」に沿って、必要な対応を取って行くことになります。
「もともと持っている(と自分が感じる)誰か」や「頑張って色々手にしてきている誰か」と、同じやり方をしようとしても、予算や環境など、どうやっても真似できないことがあります。
そこで苦悩しても、自分がガチャと感じているものは、変わらない。
でも、「日々、自分の意思の扱い方を、他人軸から自分軸へ変えること」であれば、自分に注力していけばよいのです。
自分の中に確かにあると感じている「ガチャ」を認めて、それがどのように自分に影響を及ぼしているのかを知り、必要な対応を取って行けば、力もついてきます。
他人軸で意志を扱い続けてきた場合、自分には何もないとか、自分は中途半端だと感じます。
また、日々、自分の意思を扱うことに関しても、大したことがないと感じます。
その大したことのないと感じることの積み重ねによって、「一般の、一個人として、失われた40年の阻止」と「●●ガチャから抜け出し、自分として生きる」ことができるのだとしたら、あなたはどうしますか?