ネガティブな自分をありのまま認め受け入れることが現実を変える鍵になることをご存じでしょうか。
前へ進むためのプロセスとして、自分のネガティブな感情や思考をありのまま認め、受け入れるのです。
アイホージュのEFTタッピングでは、感情開放に留まらず、悩みを題材に、ネガティブな感情や思考をありのまま認めます。
ありのまま認めることで、他人軸から自分軸へ軌道修正しながら、問題の根本解決を図ったり、折り合いをつけたりしていく取り組みを行っています。
セッション内容や、自身の取り組みを言語化・知識化し、いろいろなことが明らかになった今だからこそ言えるのですが、このネガティブをありのまま認め受け入れるという、軌道修正術の原点は、過去の私の「交通事故の後始末」と「アイホージュの立ち上げ」という、二つの取り組みが一つになったものなのです。
ネガティブな自分をありのまま認め受け入れることが現実を変える鍵になる
振り返れば、私の場合、いわゆるネガティブな感情や思考をありのまま認め受け入れることで、現状を変える鍵やヒントを得ているのです。
事故の後始末で思ったこと
納得して事故の後始末を終えたい。
なぜ、そう思っていたのかは、下記の記事に書いています。
納得したい。終えたい。
それが、私の願いであり、望みでもありました。
でも、どうしたらいいのかわからないのです。
最初のうちは、しばし堂々巡りをしていました。
堂々巡りをしながらも、このままだとマズイと自覚はしていたのです。
結局、事故の後始末について何の知識もなかったので、望む結果を得るために、助っ人を探し当てました。
その結果「納得して終えたい」と言いながら、助っ人の最初の指示に対し、「周りに迷惑をかけるから、やりたくない」と返した自分を恥じることになったのです。
そこから私は、二年以上に渡り、
気持ちがついていかないまま、自分がどうしたいのかに沿って行動を変え、これまでとは違う結果を得る
という日々を送っていました。
自分の気持ちがついて来ないまま、行動だけを変えるのって、すごくストレスなんですよね。
自分の言動に対し、周りが否定的な反応をするんじゃないかと考えては、不安になったり、恐怖心に苛まれたり、憂うつになる。
でも実際に必要な行動を取ると、周囲はそれに見合った、適切な対応を取って下さるので、想像していたようなことは起こりませんでした。
思いがけない結果を得た私は安堵したり、拍子抜けしたりするのを繰り返しました。。
この頃の私が、「事故の後始末」という自分の事例に沿って学んでいたのは、
この積み重ねが、
- 自分を尊重する(自分軸のどうしたいのかに沿って思考し、行動する・尊厳を守る)
- 自分と他者の違いを尊重する
になったことが、後に「心から納得の行く結果」へとつながっていたのです。
そんなことを知る由もない私は、自分がどうしたいのかに沿って行動することに少しずつ慣れつつも、同時に物事のハードルが少しずつ上がっていたので、最終結果を得るまでの心理的な負担は大きかったです。
私の場合、助っ人に言われたことは全てやると決めてのことだったので、何とか踏ん張りましたが、身をもって知ったことは
これまで他人軸で生きてきたる場合、「自分がどうしたいのか」に沿って行動することには、ワクワクどころかストレスが伴う
そんなの本に書いていなかったぞ。
この時に感じていた負担もまた、後に私の現状を変える鍵になるのです。
アイホージュの立ち上げで思ったこと
日々の積み重ねが実り、心からの納得を得て、事故の後始末を終える日の朝。
アイホージュの立ち上げを決めたのですが、その後に、このようなことを思いました。
・・ということは、また気持ちがついていかないまま、自分がどうしたいのかに沿って行動することになるのか。
このまま前に進むのは得策じゃないな。
事故の後始末と比較すると、アイホージュの立ち上げの方が、明らかに私にとって、ハードルの高い取り組みでした。
なぜなら、後始末の時は助っ人がいたけれど、アイホージュの立ち上げは、全て自分が決めて動かなければいけないのです。
自分がどうしたいのかに沿って、物事を決めたり行動したりしなければ、何一つ実現しないのに、気持ちがついていかないとなると、遅かれ早かれ暗礁に乗り上げるだろう。
言葉にならない憂うつ感や不安、恐怖などが、それを物語っていました。
でも、どうしたらいいのかはわかりませんでした。
わからなかったけれど、自分の中では、知らず知らずのうちにその答えを探しているんですよね。
EFTタッピングを習って思ったこと
しばらくして、EFTタッピングを習う機会を得たのですが、
- ネガティブな感情を、ありのまま認めたら良いのはわかる
- EFTタッピングが自分の現実を変えることには結びつかない
という所で終わっていました。
私は、EFTに拘わらず、色々な場面で、講習などに出て自信がつけば、現実を変えられると思っていたのです。
まあでも、資金が・・。
立ち上げ分を残して、心許ない状態になりました。
二年以上無職だったので、仕方がないのですが、あちらこちらの講習会に出歩けなくなったことが、功を奏したなんて、誰が想像したでしょうか。
実体験を通じてネガティブな自分をありのまま認め受け入れることが現実を変える鍵になると知る
私は、外の講習会で自信をつけるのではなく、自分の内側にアプローチをし、ネガティブをありのまま認めることが現実を変える鍵になると知る必要があったのです。
金銭面で心許なくなり、外の講習会に出られなくなったのを機に、現実逃避ができなくなり、自分の現状を目の当たりにすることになりました。
アイホージュの立ち上げが進んでいないことに焦りを覚えるようになったのです。
その後、椅子一つ動かすにも気持ちがついていかない状態に陥り、何の役に立つのかわからないまま、苦し紛れにEFTタッピングをするようになりました。
私がやっていたことは「アイホージュの立ち上げに伴うネガティブな感情や思いを、ありのまま認める」一択。
どこに辿り着くのかもわからないのに。
何も得られないのかもしれないのに。
ネガティブをありのまま認める一択だったのには理由があるのです。
過去にEFTタッピングを受けた時、ネガティブをありのまま認めて変化が生じた経験があったから。
絶対にできる!みたいな、ポジティブなフレーズをやるほどに「できない」という思いが強まるから。
仮に、できると感じても、高揚感だけで、実際に変化した試しがなかったから。
自分の他人軸の癖を知っている今となっては、この時の選択は賢明だったと思っています。
思春期の頃の自分がアイホージュの立ち上げを阻止していると気づく
アイホージュの立ち上げが進まないという悩みを題材に、ネガティブな感情や思考(ついて来ない気持ち)をありのまま認め、掘り下げる中で、思春期の頃の恥と感じる出来事と、ある人を思い出しました。
私はその人に、あいつ変なことやっていると、指を差されるんじゃないかと恐れていたのです。
アイホージュの立ち上げと、過去の出来事との関係性がわからないまま、EFTタッピングで追体験をしながら気づいたことがあります。
20年以上も前の出来事に伴う、自分の恥や苦痛などの感情や思考が、アイホージュの立ち上げを阻止しているのか。
頭ではわかる。
でも、気持ちの上では、やっぱりムリだ(と感じている)。
頭では準備をしなければいけないし、行動すればいいともわかっているのに、気持ちが全然ついてこないのです。
事故の後始末の時と、同じ状態になったのです。
ネガティブをどこまでもありのまま認めよう
私は「立ち上げると決めた」に伴う、ネガティブな思いや感情を、どこまでもありのまま認めようと思いました。
理由は、セットアップフレーズやリマインダーがマッチしているのにも関わらず、どれだけネガティブをありのまま認めても、底なし沼のような感じで何の動きも出ないから。
他に何をしていいのかわからなかったし、やれることがなかったというのもあります。
今日も何も変わらないんだろうなー。
と思いながら、いつも通り、ネガティブをありのまま認めていた時
本当に欲しいもの(アイホージュの立ち上げ:自分軸)じゃなく、どうでもいいもの(指を差されないこと:他人軸)を選ぶんだ。
という思いが、ふっと自分の中から出てきました。
二週間目のことでした。
徹底して「ネガティブな思いや感情を、どこまでもありのまま認めた」ことによって、思いがけずEFTタッピングのコツがつかめるという副産物がありました。
こうなると使い勝手が良くなるのです。
過去の自分の選択に堪えたことで物事が前に進む
ネガティブをひたすら認め、一段掘り下がった思いが浮上した時。
私は、思春期の頃の、全く別の出来事を思い出し、その時も、その人から指を差されたくない一心でどうでもいいものを選び、その結果、取返しのつかないことをしたのだと初めて気づきました。
この気づきは私にとって、あまりに衝撃的でした。
二度とあんな(取返しのつかなくなる)選択をしない
そう心に誓うほどに、過去の選択が堪えたことが、アイホージュの立ち上げを実現させるための原動力となりました。
EFTのコツをつかみ、使い勝手が良くなったため、「躓くに度にタッピング」しながら、アイホージュの立ち上げ準備が進んでいきます。
EFTタッピングで、ネガティブな感情や思考などをありのまま認める時
- 自分だけが知っていること
- 自分だけが知っていればいいこと
- 自分だけが扱えるもの
などが、たくさんでてきます。
すっかり忘れているようなことでも、自分って記憶していて、ありのまま認めることで、必要に応じて引っ張り出せるんですよね。
それが、現実を変える鍵となるって、面白いと思いませんか。
舌の根も乾かぬうちにどうでもいいものを選ぶことを繰り返す自分に気づく
でも、悲しいかな。
あんなに心に誓ったというのに。
舌の根も乾かぬうちに、私はまた「どうでもいいもの(他人軸)」を選ぼうとしていたのです。
やりたいと思っていた物販がダメになり、今の自分にできることとして、EFTタッピングの提供が浮上してきた時のこと。
何となく、そうなるんじゃないかと思っていた私の内側は激しく抵抗します。
タッピングで変化しただなんて、人から怪しいって言われるに違いない。
絶対に嫌だ。
でも、対応方法は知っているもんね、余裕余裕。
再び、ネガティブな感情や思考を、ひたすら認めるうちに、思いが掘り下がります。
世の中の誰かが、この方法を探しているのかも知れない。
ふっと自分の中から出てきたのです。
ネガティブをなくすのではなく、ありのまま認めるからこそ、他人軸の癖に気づいて立て直せるということを、この頃の私はまだ知りません。
過去と現在の自分を自ら救済する、この方法を誰かが探しているのかもしれない
この時、私は「集めた情報が、自分の現状を変えることに結びつかない」と感じていた、過去の自分に意識が向きました。
あれこれ情報を集めては不自然だとか、部分的だとか、抽象的だと感じていたこと。
もっと現実的で、実用的で、根本的なものはないのか。
自分分が欲し、求めている方法は、そもそも存在するのだろうか。
そんなことを思っていたのに
前へ進むためのプロセスとして、ネガティブをありのまま認める
という方法を、実体験を通じて得たことによって、過去と現在の自分を、自ら救済することができると知ったのです。
この方法を探している誰かもまた、過去と現在の自分を救済できるのかも知れないのだとしたら、提供する価値があると思いました。
もし、EFTタッピングをせずに、誰かから、掘り下がった思いだけを与えられたとしても、私は納得もしないだろうし、満たされない思いを隠して、周囲に対して表面上、綺麗事を言っているような気分になったことでしょう。
資金が心許なくなっていた私でしたが、EFTタッピングの提供を決めたので、講座に参加します。
この講座は、「他人のセッションを見続ける」「自分が他者にセッションをする」という内容でした。
コツをつかみ、「躓くに度にタッピング」しながら、アイホージュの立ち上げ準備を進めてきた私は、講座に参加したことで、セッション提供はできるだろうという手ごたえを感じていたのでした。
ネガティブをありのまま認め受け入れ続けることが現実を変える鍵になるせ
ネガティブな自分をありのまま認め受け入れることが、なぜ変化につながるかが分からない。
地道な取り組みとその変化に魅せられた私は、ネガティブをありのまま認めるこの先に何があるのかを見てみたいと思うようになりました。
このような始まりだったので、当初のセッションは、アイホージュの立ち上げに使っていた、感情開放やそれに伴って思い出す過去の出来事へのアプローチがメインでした。
でも、これだけでは足りない。
事故の後始末で取り組んでいたことと、アイホージュの立ち上げで使った内容を、つなぎ合わせたサービスを提供する必要があったのです。
当時は、このことを言葉では自覚していた訳ではなかったのですが、気づくきっかけとなった、クライアントさんとのセッションがあったのです。