他人軸から自分軸へ意思の扱い方を変える過程で生じる「望みのダウンサイジング」

自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。

「望みのダウンサイジング」とは、自分の望みをしょぼくすることではありません。

他人軸で意志を扱う自分が、不快な状態から抜け出すために抱いた望みに上乗せした『過剰な役割』を外すことを意味します。

どういうことか、説明しましょう。

目次

壮大になりがちな他人軸の望み

他人軸で意志を扱っている時は、

  • 周りに認められたい
  • 否定されたくない
  • 傷つきたくない

という状態にあります。

これにより、自分らしく生きようとする時は、「誰からも、何からも縛られずに、自由に、自分らしく生きる!」という特徴的な発言が出ます。

「縛られたくない」とは、「周りから、認められる・認められないと自分が感じることから完全に逃れること」を意味します。

でも、他人軸の場合、人生の目的は「周りから認められる自分になること」です。

そのために、自分の意志を表面上抑圧し、周囲に同調しているのです。

だから、必ず「周りの承認(と感じる、実際は自分の判断)」を求める状態にあるのです。

でも、実の所、周りに認められたと感じることを求めて、自分を抑圧し、

  • 傷ついた
  • 嫌われたかもしれない
  • 蔑ろにされた
  • 見下された
  • わかってもらえた
  • 愛されている
  • あの人どう思っているんだろう(私を認めているのか、そうでないのか)

などと一喜一憂するって、疲れるのですよね。

だから、周囲の承認を求めて自分を抑圧する状態から、完璧に逃れるために、「誰からも、何からも縛られずに、自由に自分らしく生きること」を求めるのです。

いくら自由を求めても他人軸から逃れられない理由がある

でもですね、自分軸で意志を扱う場合、
「周りに縛られること」と
「自分らしく生きること」は
それぞれ、全く別な話なのです。

だから「誰からも、何からも縛られない」とか、「誰の人生でもなく、自分の人生を生きよう」などの表現が出ること自体、他人軸という意志の扱い方に自らを縛りつけ、逃れられないでいるということなのです。

ひとかたまりの望みの実現で全ての問題を解消しようとする他人軸

他人軸で意志を扱っている場合、残念ながら、これらのことに気付ける状態にはありません。

なぜなら、本来、自分軸で段階的に扱う必要のある、意志の背景にある「欲」全てを、ひとかたまりの大きな望みに背負わせてしまうからです。

これは、どういうことかというと、例えば

  • 大金を得るという望みが叶うことで、誰からも何からも縛られず、安心して、自分のやりたいことを自由にやれるようになる
  • プライベートも、仕事も、恋愛も、結婚も、子育ても、お金も、あらゆる人間関係も、何もかも思い通りになる
  • すごい自分になって、大金を稼ぎ、周囲の賞賛を得て、自由に生きる
  • 理想の自分になれたら、誰にも、何にも縛られず、自由にのびのび生きられる

と言った具合に、「ひとかたまりの望みが叶いさえすれば、全てはうまくいく(問題や悩みが全部解消する)」と感じるのです。

そのため

  • 自分がどうしたいのかわからない
  • 周りの目が怖い
  • 断ることに罪悪感がある
  • お金や将来の不安がある
  • 安心して動ける土台がない
  • 自信がない
  • 自分には価値がない

など、他人軸による対応の積み重ねで生じた数々の問題を、ひとかたまりの望みが実現することで解消しようとするのです。

そして、感覚的にも、これが実現できると感じる状態にあります。

だから、他人軸から逃れられないでいることや、抱いた望みに『過剰な役割』を上乗せしていることには気付けないのです。

ひとかたまりの望みの落とし穴

ただ、ひとかたまりの望みには、落とし穴があります。

他人軸の大きな望みの実現は、「理想の自分になれない限り、自分らしくのびのび生きることができない」ことを意味します。

つまり、自分らしく生きることへのハードルが、異常に高いのです。

しかも、他人軸で意志を扱い続けてきた場合、二つの基本を押さえ、段階的に自らの欲求を満たして意志を活かす、自分軸という術が身についていません。

そのため、ひとかたまりになった大きな望みの実現が、いつか引き寄せられるのを、待ち続けることになるのです。

その間、意志を活かし、自分らしく生きることを先延ばしにしていることには気づきません。

他人軸の積み重ねで生じた数々の問題を見ないふりをして、

  • ワクワクすること
  • いい気持ちになること
  • 大いなる誰かや何かに認められる、良い人になること

などに注力し、自らを幻想に縛りつけてしまうのです。

それだけではなく、数々の問題が生じても必要な手が打てないので、自分を非力にしますし、傷つけもします。

ひとかたまりの望みの実現ができる人は限られている

自分や人生が変えられるはずの、この大きな望みを実現できる人は、他人軸の「努力型」か、ごく一部の「承認型」に限られます。

「いろいろ成し遂げて、周囲から賞賛を得ているのに、ご自分は存在価値がないと感じていて、もっと頑張れるはず、全然足りないと思っている。」


「成功して、お金も稼いで贅沢もしたけれど、満たされなかった。人のために役に立つことが、大事だとわかった。」
というような話を聞いたことがあるでしょうか。
これが「努力型」です。

ごく一部の承認型と、「皆に羨ましがられるハイスペックの配偶者と結婚したから人生安泰。」といった感じです。

共通しているのは、ひとかたまりの望みは実現しても、積み重ねた他人軸の問題は放置していること、です。

望みのダウンサイジングは望みと自由の切り分けである

もし、現在、大きな望みの実現が、うまくいっていないと感じているなら、いくら待っていても、その日が来ない可能性が高いです。

なので、他人軸から自分軸へ意志の扱い方を変えることは、とても大切なことですし、その過程で「望みのダウンサイジング」が起こるのは、自然なことなのです。

現実離れした、大きな望みがしぼんだのではなく、自分が望みに背負わせていた「他人軸の幻想」が外れただけ。

しかもその中身は、単なる縮小じゃなく

  • 望みの適正化
  • 望みの現実化
  • 望みと自由の切り分け

なのです。

ひとかたまりの望みではなく、自分らしさという「深み」に向かう

EFTタッピングを使った、意志の扱い方の軌道修正を積み重ねるうちに、他人軸で思い描く理想が実現しなくても、今できることを一つずつやって、自分を活かす選択ができると気づきます。

安心や自由も、自ら築くことができます。

別な記事で触れていますが、一つの悩みに伴う、ネガティブな感情には、「普段は言語化することのない、軌道修正に必要な情報の全て」が含まれています。

EFTタッピングを使って、この情報を、二つの基本に沿って段階的に掘り下げ、他人軸・自分軸、両方の欲求を満たすことで、他人軸の積み重ねで生じた数々の問題に対応しながら、軌道修正をしていきます。

自分の意志を活かし続けることが、自分らしさを築くことに結びつきます。
互いの意志を尊重し、違いによって刺激し合いながら、発展することもできます。

自分を縛るのは、周りの誰かではなく、他人軸で意志を扱い続けてきた自分だということにも、お気づきになるはずです。

望みのダウンサイジングと書きましたが、日々、軌道修正を積み重ねることで得られる、自分らしさという「深み」が、今の自分には想像のできない、素晴らしい場所へと自分を誘ってくれるはずです。

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