未来を示唆していた短大入試|通訳になりたい

自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。

この話は、学生時代に足元がぐらついていた私が思い、感じ、考え、行動したことなどが、アイホージュの立ち上げと現在のEFTタッピングの内容へとつながっていく、連載ものです。

目次

私にとって「中身のある人間になる」とはどういうこと?

地区長として過ごしたキャンプが終わる時。

地区長として過ごしたキャンプが終わる時、土台のぐらつきと、周囲の承認が集まる、ギャップによって
「いつか、またこのように大勢の人の前に立つことがあるなら、中身のある人間になりたい」
と思った私は、周囲の承認が集まる状態から日常へと戻り、燃え尽き感を覚えていました。

でも、三か月後には、短大の推薦入試が迫っています。

入試科目の一つに英語の小論文があったのですが、今日の記事は、そのお題に対し、私が思い、感じ、考えたことが
「私にとっての中身のある人間とは何か」を示唆していたという話です。

前年の入試問題を見て思い浮かんだ本のタイトル

英語の小論文のお題がどんなものなのか、見当がつかなかったので、参考のために前年の入試問題を買いました。

『favorite book』
というお題を見て、ぱっと思い浮かんだ本のタイトルは『ぼくがぼくであること』

高校の図書館にあった、小学生向けと思われる文庫本で、当時、何度も借りていた、私のお気に入りでした。

さっそく書き始めたのですが、全然まとまらないのです。

三日ほど粘った後、私が出した結論は
「去年のお題が、今年の入試で出る訳ないじゃん!」
あっさり切り捨てたのでした。

『ぼくがぼくであること』は書けなくて当然だった

でも、今の私は、知っているのです。

足元のぐらつきを覚えていた高三の時点で、「ぼくがぼくであること(自分が自分であること)」というお題について、
書ける訳がないということを。

なぜなら、私が、感情や思考などを、ありのまま認めるEFTのセッションや講座の提供を通じて
「自分とは何か」
「自分が自分であること」
などの定義を割り出し、記事にしていくのは、2020年以降の話だからです。

ということで、自分が未来に取り組むことになる内容を表す、本のタイトルを選んでいたことにビックリ。

それにしても、本番の入試が、一年前じゃなくて良かった・・。

入試本番のお題にガッツポーズ

学校の先生に添削をお願いし、練習を重ねて、迎えた本番時のお題は
『favorite person or favorite place』

見た瞬間「これなら書ける!」と心の中で、ガッツポーズをしました。

この時、私が書いた内容を要約すると

好きな人は、高校二年の時に、ユースキャンプで一緒の班にいたフィリピンの友人。
キャンプの終わりに『私が、あなたの通訳になるから二年後にまた会おう』と約束した。

というものでした。

自分にとっての「通訳」とは?

EFTを積み重ね
「自分とは何か」
「なぜ自分がどうしたいのかに沿って生きる必要があるのか」
などのことを理解してから、この話を思い出した時。

「通訳」という言葉に、自分がどんな意味を含めていたのかに意識が向きました。

そこで、高校生の自分が思い描く「通訳」と、実際に自分がなろうとしていた「通訳」が、違うことに気付きました。

高校生の私が思い描く「通訳」

友人と約束した時、確かに私は「あなたの通訳になるから」と思っていました。

でも、日常に戻ってからは「通訳」になるなんて大それた話で、自分には無理だと感じていました。

なぜなら「通訳になる」とは「職業として成り立つほどの英語の能力があること」だと捉えていたからです。

私がなろうとしていた「通訳」

実際に、私がなろうとしていた「通訳」とは
「キャンプの時のように、一緒にいる人たちの会話が成り立ち、楽しく、実り多い時間を過ごすこと」

友人が伝えたいと思うことを聞く。
それを、身近な周囲の人たちに伝える。

自分が伝えたいと思うことを話す。
身近な周囲の人たちが話している内容を伝える。

ということが、実際に私がやりたいこと、だったのです。

これって、EFTの二つの基本

  • 自分の意思を尊重する(活かす)
  • 自分と他者の違いを尊重する

そのものなのですよね。

他人軸と自分軸の通訳になる

このことに気付いた時、私がEFTを通じて、取り組んでいることは「自分の意思を活かして生きるための、他人軸⇔自分軸の通訳」なのだと思いました。

通訳というと、違う言語のやり取りで行われますが、他人軸と自分軸って、同じ日本語を使っているのに、互いに分かり合え得ないのです。

視点や感情、意思の扱い方も違うので、言葉に含める意味が異なるからです。

だから、他人軸で意思を扱っている状態のまま、いきなり自分軸で動こうとしても、できないのです。

それだけではありません。

同じ他人軸でも、承認型・自由型・努力型という、タイプの違いによっても、互いに分かり合えないのです。

これらが、さまざまな人間関係のトラブルの原因になっています。

このようなことが起きていると知った私は、他人軸から自分軸へ、意思の扱い方を変える「軌道修正」とは、言い換えると、自分の中に通訳を育てるようなものだと思っています。

自分の中に通訳を育てるために必要な方法

自分の中に通訳を育てるために必要だったのは、「感情や思考、言動などをありのまま認めるという一つの方法を、あらゆる場面で応用すること」でした。

ヒト・モノ・コトを変えながら、この方法を使うことによって、他人軸の意思の扱い方を自分軸で捉えられるようになりますし「うまくいくと思い込んでいた他人軸では、うまくいかない」と気づけるようにもなります。

でも、気づくだけでは足りません。
「自分がどうしたいのか」を引き出し、それを実現するための行動も必要です。

通訳になることを実現するために未来に向かう

英語の通訳になるというのはさておいて、私は、無自覚のうちに「自分の意思を活かす、他人軸と自分軸の通訳」になる未来へと向かって、歩を進めていきます。

印象的な褒め言葉

無事に合格し、入学して割とすぐの頃。

友人と校内を歩いている時、ニコニコしている先生に呼び止められ
「みつるさんの入試の時の、英語の小論文、英文自体はすごくつたなかったんだけれど、内容はすごく良かった」
と声をかけられたことがありました。

つたないという表現が私の中に強く残ったのですが、それはきっと、遠い未来で思い出すため、だったのでしょう。

日々のやり取りが入試に活きる

EFTでの振り返りを通じて、このことを思い出した時。

どうして私は、受験の時に「このお題なら書ける!と思ったんだろう」と初めて思いました。

そうだ、文通だ。

文通している時に書いた内容を、入試の時に、そっくり使ったんだ。

そう、日々のやり取りの積み重ねです。

EFTもそうですが、私にとっての「学習」は、そうとは感じない状態で、日常に組み込まれていることが多いように思います。

忘れた約束が未来につながっていく

キャンプが終わってからも、友人と手紙のやり取りは続いていました。

友人が大学に入り、私が短大を卒業する頃には、やり取りの頻度が季節の挨拶程度となり、23歳頃に途絶えました。

こうやって私は、自分から「二年後にまた会おう」といった癖に、その約束をすっかり忘れてしまったのです。

忘れてしまったら、実現には至りませんものね。

でも、無意識下で私は「自分の意思を活かす、他人軸と自分軸の通訳」になる未来へと向かって、歩を進めています。

友人との約束を思い出し「再会」を果たすのは、十一年後の1999年です。

Say somethingと言われた短大時代

短大の授業では、日本語を第一言語としない先生方と接する機会が増えました。

「Say something.」
「Please.」

そう言われることが増え、わからないからといって黙りこくることは、許されなくなりました。

黙ってやり過ごすのではなく、何かを言うこと。
自分の中にあるものを、外に出すこと。

これもまた、未来で「自分の意思を活かして生きるための、他人軸と自分軸の通訳」になるための練習であり、必要なことだったのだと思っています。

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