自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
この話は、学生時代に私が思い、感じ、考え、行動したことなどが、アイホージュの立ち上げと現在のEFTタッピングの内容へとつながっていく、連載ものです。
いざ開会式|集まる視線とプレッシャー
整列をせずに、戸惑っているようにも見える参加者を前に、グダグダな感じで始まった開会式。
地区長として紹介された時、一斉に集まった視線にびびった私は、戸惑いと強いプレッシャーで、怖くなりました。
ここで初めて責任の重さを感じ、テントに籠って大泣き。
地区に入って下さったリーダーになだめられ、落ち着きを取り戻しましたが、「おもしろそーなこと」は「おもしろそー」だけでは、済まないのですよね。
怖かろうが不安だろうが、やると決めたことに対し、責任を持つ必要があると知ったのでした。
リーダーは岡山出身で、大学時代に弘前にいた方なのですが、二人の通訳の方と共に、私と地区の運営を支えて下さったことを大人になった今、改めて感謝するばかりです。あの時はありがとうございました。
周囲の承認を得る私の変化
最初は、集まる周囲の承認に、居心地の悪さを感じていました。
初日夜の地区自主プログラムで、自己紹介をし、青森から来たこと。
青森には、日本一短い会話として「どさ」「ゆさ」というのがあると話したのを覚えています。
この時も、まだ緊張していて、ぎこちなさを感じていました。
少しずつ変わる私の内側
翌日、予定外のプログラムで、一部の参加者と、別の地区の副地区長Sちゃんと一緒に、バスに乗って化石採集に出かけることになりました。
「もう皆バスに乗っているから早く行って」という指示が出た時、寝不足だった私は、ひそかにバスの中で寝ようと思っていました。
乗り込んだ瞬間、「・・あれ、〇〇の地区長と◇◇の副地区長じゃない?」というひそひそ声があちこちから聞こえてきたかと思ったら、次々、地区の人達から話しかけられるではありませんか。
好意的と感じる皆の言動に、地区長として、周りから受け入れられていることへの驚きを感じながら、少しずつ自分の立ち場を実感するようになったのです。
バスが到着してからも、声をかけられることが続きました。
普段の私の生活だと、こういうことって、絶対にないのです。
地区の人たちと打ち解けるきっかけ
プログラムの時には、私とSちゃんは、室内の一番後ろに座っていました。
お互いに肩書に慣れておらず、周囲からの承認に若干ハイテンション気味だった私とSちゃんが、それぞれ選んだ一つの化石を指示に従いつつ、やる気なくゴンゴン叩いていたら、講師の方から叱られたのです。
「そこ!やる気がないなら出ていきなさい」
二人で謝って、その場を終えたのですが、地区に戻ったら、それが笑い話として、広まっていたのです。
「誰か怒られているなーって振り向いたら、地区長なんだもの。」
ここで一気に、地区の人たちと打ち解けた感じがしました。
ついに心地よさに達する
日を追うごとに「周囲の承認」に慣れてきた私は、ついに心地よさすら覚えるようになったのです。
慣れが長く続くと「横柄」になるのですが、このキャンプは5泊6日。
そこに至るほどの時間はないのです。
周囲から得る承認のクライマックス
明日でキャンプが終わるという日の夜、全地区合同のキャンプファイヤーがありました。
出し物を
- Sちゃんの地区
- 私の地区
- もう一つの地区
の順でやることになっていました。
私は自分の地区から離れた所で、委員会のメンバーと一緒に座っていました。
キャンプサイトは広く、3つの地区はそれぞれ離れているのですが、時折、Sちゃんの地区からは、楽しそうな「特有の掛け声」聞こえていました。
出し物の前の、簡単な地区紹介の後、その掛け声が聞こえたと思ったら、地区長と副地区長にコールがかかったのです。
盛り上がる中、呼ばれて嬉しそうに走り出したSちゃんを眺めながら、私は
「うちの地区には、あんな掛け声はないんだけれど、何やるんだろう」とドキドキしていました。
いよいようちの地区の番、という時。
「どさー!」「ゆさー!」という大きな掛け声と共に、私と副地区長にコールがかりました。
それやるんだ・・と思いながら、すごく嬉しい気持ちで、地区の方へと走って行き、一緒に盛り上がったのを、今も覚えています。
あの時、乙女地区にいた皆さん、本当にありがとうございました。
肩書があるから得られていた反応
キャンプ期間中、私は、「地区長という肩書を通じて、周囲の視線が自分に集まっている」ことを自覚していました。
同じ高校生部門にいながら「地区長」という肩書を持って「参加者の皆さん」と接していましたが、皆さんは、私が「じゃんけんかあみだ」で「特別とも言える全国キャンプ」の地区長になったことを知らないのです。
キャンプの終わりに、地区の皆から、寄せ書きを貰っているのですが、そこには
- 同じ年に見えない
- しっかりしている
- 高校生って感じじゃなかった
- 憧れる
- 恰好いい
- すごい
- 私も来年は委員になりたい
という風なことが書かれてありました。
夜にテントの見回りに行くと、「キャー!地区長さーんだー」女子校アイドルのような扱いを受けることもありましたっけ。
でも、これは、私に「地区長」という肩書があったから。
私から地区長という肩書を取ったら、こういうことは起きないよね、と常々感じていた私が、地区の解散式で思ったことがあるのです。
解散式で思ったことが未来を示唆する内容だった
いつか、また、こういう(大勢の人の前で活動する)機会があるなら
私は、中身のある人間になりたい
足元のぐらつきと、短い期間の中で、自分に集まる、多数の承認(と感じる自分の判断)とのギャップが、私の中で、あまりに大きかったからこそ、生まれた思いだったのです。
「中身のある」とは、どういうことなのか、高校生だった私は、うまく言葉に表せませんでしたが、これはEFTで取り組んでいる「日々、自分の意思を自分で扱うこと」を指しています。
EFTで軌道修正を積み重ねた先で、このことに気付いた時。
「いつかまたこういう機会があるなら、って。
私は、あのような特別と感じることが、起こり得る前提で、中身がある人間になりたいって思っていたってことなんだよね。まるで未来を示唆しているみたい。」
なぜなら、あの頃とは形態こそ違うけれど、アイホージュとして、全国オンラインを通じてサービスを提供していることも、不特定多数に向けて文章を発信していることも、私にとっては「大勢の人の前で活動する機会」だからです。
もし、私が地区長の経験をすることなく、大きなギャップによる思いが生じることもなかったとしたら。
私は、心地よさの感覚を頼りに、周囲の承認を得られる、すごい自分になることを求めたでしょう。
そうであるなら「自分で自分をありのまま認める」「自分の意思を自分で扱う」所までは辿り着けなかったはず、なのです。
未来を示唆するタイムカプセル
もう一つ、面白いと思っていることがあります。
このキャンプのプログラムに「タイムカプセル」がありました。
1989年、18歳だった私は、38歳になる自分が全く想像できず、何を書いていいかわからないのです。
しょうがないので、何とか捻り出して、未来の自分に対する問いかけを書いたことを、思い出しました。
38歳の私へ。
18歳の私はユースキャンプで地区長をしています。
38歳の私は何をしていますか?
アレ?
20年後の2009年って、アイホージュを立ち上げて、公開した年じゃない?
私、38歳に焦点を当てて、生きてきたのだろうか。
人生の絶妙さ加減に驚くばかりです。
こうやって私の高三の夏が終わりました。
ですが、何気ない普段の生活の中で、未来を示唆するようなことは、まだまだ続きます。
次回は「短大の入試問題に書いた答えが、未来を示唆していた話」です。

