土台なき自由によって足元がぐらついていた学生時代

土台なき自由によって足元がぐらついていた学生時代

自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。

この話は、学生時代に、思い、感じ、考え、行動したことなどが、アイホージュの立ち上げと現在にEFTタッピングの内容につながっていくというもので、前回からの続きです。

目次

土台なき自由を得た小学5年の私の実態

小5の時に母がフルタイムで働くようになったのをいいことに、私は、表向きは大人に従いながら、その場をやり過ごし、周りから見えない所で、ダラダラと好き勝手・自由にしていました。

自由といっても、習い事や部活があったので、限られた時間内で、大したことはしていないんですけれどね。

母の帰りが遅かったので、夜ご飯を作ることで承認を得つつ、肝心な勉強はほったらかし。

勉強は嫌いなのではなく「やり方が分からない」と感じていました。

なぜなら、細かい疑問が次々湧き、それらが引っかかりとなったために、日々の勉強を通じて得た知識が自分の中で断片的なものとなり、つながったり、広がったりする面白さがつかめなかったから。

土台なき自由によって、足元のぐらつきを自覚していた私は、ぼんやりと「生きる上で押さえる必要のあることは何なのか」と思っていたのです。

でも、そのことを誰かに話そうとは全く思いもしませんでした。
うまく説明できそうになく「わからないといって、ワークとかやれと言われても困るな」なんて思っていたのです。

私の様子に気づいたであろう父が「教科書を100回読め。そうしたらわかるようになる」と言っていました。

でも「それをやる意味は何?」なんて思う私が、言われた通りのことをするはずもないのです。

「要領が良い」の実態

そんな訳で、中学時代は、ロクに勉強をしませんでした。

周囲から「要領がいい」と言われていた私の実態は、表面を整えて、その場を凌ぎながら、隠れて好き勝手し、内側では不安や恐怖を抱える、というもの。

提出物も別のクラスの友人から借り、相手の名前を消して自分のものとして提出する有様。

とりあえず頑張るポーズを周囲に見せていれば、その場が凌げたり、何とかなっていました。

同時に、このやり方では、いつか、何ともならなくなるのではないかと恐れや不安を覚え、もっと別なやり方があるのではないかと思っていました。

管理教育の影響

時は、管理教育真っ只中。

1980年代における「反管理教育運動」において、当時の学校において行われていた学校(教員)が一元的に児童・生徒の在り方を決定し、これに従わせる様式の教育方法、およびその問題点を可視化するために用いられた言葉である。

引用元:Wikipedia「管理教育

私が過ごした当時の学校生活にも、その空気は色濃くありました。

私が管理教育で良かったと思うのは「集団の統制が取れるところ」

生徒数が1,300人以上のマンモス校にいたのですが、この状態で、集団の統制が当たり前に取れるってすごいことだと思っています。

一方で、良くなかったと感じているところは「自分の意思を持たずに、誰かに従って生きるようになりやすいこと」です。

体罰全盛期

学校では体罰全盛期。

自分、もしくは周りに非がなくても、連帯責任と言われて罰を受ける。

「何でそんなことをしたんだ、理由を言え」と問われ、答えると言い訳するなと言われるダブルスタンダードが横行。

「叩かれるのは、お前が悪いから」と一方的に言われる。

わからないと言えば叩かれ、答えを違えば叩かれ、失敗すれば叩かれる、となると「意思があっても、表に出さずに、黙って周囲に従い、その場をしのいだ方が良い」と感じるようになるのですよね。

これの何がまずいのかというと、その時は何とかなっても、後から問題が出てくるということ。

それでも、景気が上向きで、かつ教師や親、会社や配偶者など、誰かの庇護のもとにある状態のまま、敷かれたレールに従って行けるならば、とりあえず安泰は得られるはず。

でも、景気が悪くなり、就職難やリストラなどに遭った場合、リスクになるのです。

「周りから自分を認めてもらえない」と感じて萎縮。

就業条件が悪くても職がないよりマシ。

従わなくては生きていけないと感じ、常に、社会や周囲によって人生が翻弄されると感じる状態になりやすいのです。

その他の問題として

  • 表面上は大人の対応が取れるけれど、内面は子どものまま「誰かに従い、承認を得ることで、自分の価値を見出す」ことになる
  • 自分の意思に沿って生きるという、肝心なことから目をそらし、周囲の承認を求め続ける
  • 問題をなかったことにして、後々大きくなる
  • 同調圧力によって、自分の持ち味を潰したり、相手の足を引っ張ったりする

ことなどがあります。

もちろん、管理教育を受けても「自分の意思を自分で扱える人」は確かに存在していたことを知っています。

そうあれたら良かったのですが、私は、そうなれる状態にはなかったのでした。

一つ申し上げたいのは、管理教育そのものを一括りに否定している訳ではありません。

当時を振り返ると、今だとおかしいよね、と思うこともあるけれど、楽しかったと思うことも、たくさんあるのです。

恐らく、どの時代に生きても、「人それぞれ思うこと」があると思うのです。

それを次の世代に活かしていくことが大切なのではないでしょうか。

高校でも同じ部活を続けようと思った理由

中学の頃、女子だけの弱小・団体系の運動部に三年間所属していた私は、高校に入ってからもその部活を続けようと思っていました。

でも、その競技が得意でも、上手い訳でもありません。

「勝ちたい」「強くなりたい」「その競技を何としてもやり続けたい」という意思もありませんでした。

何の目的・目標もないまま「仲良しグループで、和気あいあいと過ごしていたかった」のです。

無自覚のうちに「互いに認め合い、満たし合いができると自分が感じる居場所」を求めていたのでした。

でも、行こうとしていた県立高校は、その部活の強豪校。

やりたいことでもないことなのに、厳しいであろう、上下関係の中、やっているフリをして通用するはずがありません。

自滅するのは目に見えているのに、そんなことを考える頭すらありませんでした。

メンバーの進路がバラバラになるというのに、和気あいあいとした時間がこの先も続くような気がしていたのです。

管理教育の終わり

県立の試験に落ち、私立高校に入った私は、その競技を続けることができませんでした。

なぜなら、前年まで存在していたはずの同好会がなくなっていたから。

生徒数が最大だったのにも関わらず、そっちじゃないと言わんばかりに、進む道を閉ざされたのです。

これが私にとっての「管理教育の終わり」を意味していました。

自分の意思で動くことを促される

高校は体罰禁止。

ですが、中学で散々そういう目に遭ってきた私を含むクラスメートたちは、入学してすぐの頃、担任に対し「言うこと聞かない(生徒がいる)なら叩けばいいじゃん!」と言っていました。

「自分で考えて動く頭や力があるのに。
牛や馬でもあるまいし、叩いて動かすなんて、絶対にしない。」というのが担任の言い分。

「自分の意思で動け」ということなのですが、私の土台なき状態は簡単には変わらないのです。

狭い世界が広がるきっかけ

友達と遊ぶのは楽しいけれど、部活がなく、暇を持て余したことで、二年休団していたガールスカウトに足を運ぶようになりました。

家の近くや学校、習い事など狭い範囲で暮らしていた私の世界が広がるきっかけは、小学校三年から短大一年まで所属していた、ガールスカウト。

自ら入りたいと願ったのではなく、親からその機会を与えられました。

当時は子どもが多く、定員オーバーで、一年待機してから入団しました。

ガールスカウトに対する私の認識は

  • 日曜日、もしくは土日に、違う学校の友達と会う
  • 学校にはない行事や泊まりの行事がある

です。

キャンプ三昧の高校時代

高校三年間、私はキャンプ三昧の夏を過ごしていました。

二年の時、長野県の戸隠で行われるユースキャンプに行ったのですが、その年の冬。

小雑誌の中に「ユースキャンプの準備委員・実行委員を募集」という記事を見つけました。

「そういえば、去年のユースキャンプにLes Abeilles(レザベイユ:働き蜂という名のグループ)っていたなあ。
おもしろそー。」と単純に思い、実行委員に応募しようと日本連盟に電話をしました。

青森からは前年、委員が出ていないという理由で、応募に対し即OKが出たのです。

その時「どうせなら、準備委員になりなさいよ。」と誘われました。

準備委員は、2月から5月まで月一で東京での会議に参加し、キャンプに関する企画と運営をする
実行委員は、4月と5月に東京での会議に参加し、準備委員の企画に沿ってキャンプの運営をする

という違いがあったのです。

「県から実行委員になる人を二人集めてね。」
とも言われたので、前年、一緒にキャンプに行った弘前の二人に声をかけ、私が準備委員に、二人が実行委員となりました。

前述していますが、当時は子どもが多かったので、各都道府県で参加人数に制限がありました。

運良く「一度は行きたい、特別なキャンプ」という位置づけのユースキャンプに、二年連続で参加することになったのです。

特別なキャンプでの新しい試み

このキャンプは、全国と海外の高校生部門を対象に、400人程度の規模で、参加者が5泊6日、委員は7泊8日の日程で行われたものです。

参加者を、3つの地区に分け、さらに1つの地区を、12班(1班9~11名程度)に分けています。

前年、私がこのキャンプに参加した時、運営は大人(リーダー)がやっていました。

地区長も、副地区長もリーダー達がやっていました。

ですが、この年のユースキャンプでは、新しい試みとして、企画・運営も、全部スカウトがやることが決まっていました。

特別な体験

初めての準備委員会で、東京に行った時、最初にやったのは

  • 地区長三人を選出する
  • 各県が担当するプログラムを一つ選ぶこと

「誰か地区長をやりたい人は?」と聞かれて、七人の準備委員全員が黙り込みました。

そのため、あみだだったかじゃんけんだったか、忘れたのですが、どちらかで決めることになったのです。

結果、私は、地区長になったのでした。

大役を担うことが決まったため、担当するプログラムを早く終わらせたくて「開会式」を選びました。

未来を示唆しているかのような望みを抱く

おもしろそーと思って参加したこのキャンプで、私は大いに足元のぐらつきを感じていました。

だからこそ生じた、一つの意思・大きな望みがあります。

それが、遠い未来を示唆しているかのような内容なのです。

けれど、2016年に過去の出来事に対する自分の思いや行動を振り返る時まで、そのことをすっかり忘れていました。

「あ、あれが実現したんだ」と気づいたのは、2026年、今年に入ってからです。

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