自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。
この話は、学生時代に足元がぐらついていた私が思い、感じ、考え、行動したことなどが、アイホージュの立ち上げと現在のEFTタッピングの内容へとつながっていく、連載ものです。
どういう人生を歩みたいのかわからなかった
1991年、短大二年の夏。
当時の私は、自分がどういう人生を歩みたいのかが、わかりませんでした。
渦中にある時は、「自分の意思を活かす、他人軸と自分軸の通訳」になる未来へと向かって歩を進めていたことなど、知る由もありません。
就職に強いと言われる、地方短大にいたこともあって 「大手に入って安定を得るのが良い」という風潮を感じていましたが、どこに行きたいのか、見当がつかないのです。
選択肢が大幅に増えた
当時は気づいていませんでしたが、選択肢が大幅に増えたのです。
中学から高校へは「入れそうな所」。
高校から短大へは「三学科から一つを選ぶ」。
短大から就職となった時、初めて「多数の会社から行きたい所を選ぶ」ことになったのです。
私の場合
「自分がやりたいことを選ぶより、自分がやりたくないことや、嫌だと思うことを挙げてから、消去法で決める方が合っている」のですが、それを知るのは、EFTをするようになってからのこと。
友人達が、精力的に就活に励む中、どうしていいのかわからずに、立ち止まっていました。
運に関係なく生きたい
この頃、私は、運に関係なく生きたいと思っていました。
足元のぐらつきを覚えながらも、運で何とかなっているように感じていたからです。
「いつか運がなくなるのが怖い(から運に関係なく生きたい)」というぼんやりとした不安を抱いていたのでした。
友人に誘われ就職活動をする
初夏のある日、仲の良い友人から「一緒に同じ会社を受けよう」と誘われました。
その会社の求人は二人枠で、学校推薦が必要でした。
友人の誘いに、私が最初に思ったことは
「いや無理だって。友人は絶対に推薦が通るだろうけれど。」
成績や普段の生活態度などを考えると無理だと思うし、何よりも、そこの会社に入りたいという気持ちが私にはなかったのです。
どうしたいのかわからないなりに意思がある
当時、どうしたいのかわからないと感じながらも
「直接お金を扱いたくない」
「保険・証券・銀行・信販は外したい」と思っていました。
バイトで信販会社の一時督促をしていたことと 金融業界で働く母親の姿を通じてそう思っていたのですが、友人から誘われた会社は、私が避けたいと思っていた業種だったのです。
気乗りしないのに断れない
断れば良いだけなのですが、私は、気乗りしないまま、押し切られる形で、推薦を申し込みました。
最終的に、推薦の申し込みがもう一人出て、その人と友人が選ばれ、入社が決まりました。
「行きたくなかったのに、推薦に申し込んで落ちた」私は、思いのほか傷つき、そこから一つも採用試験を受けなかったのです。
後に私は、EFTを通じて「誰かに何かを言われて、自分が欲しくないものに手を伸ばして、嫌な思いをする」 経験が度々あることに気付きます。
友人に押し切られようが、断れなかろうが「私が推薦を申し込んだ」のだから、自分の選択に責任を持つ必要があったのです。
でも、当時の私はまだ幼く、推薦に落ちたことによって自分を否定されたと感じて傷ついていました。
これ以上傷つかないよう、自分を守るために「試験を受けなければいい。そうすれば、採用されずに傷つくこともないから安全だ」 という無自覚の動きが出たのでした。
その流れで、表向きは「フリーターでいいや」と格好つけることで、ちっぽけなプライドを保っていたのです。
この頃、バイト先の信販会社から「就職しないならうちに居ればいいよ」と言われていました。
「うちに居ればいいよ」というバイト先から得られる承認によって、ちっぽけなプライドを満たしつつ、傷つかないよう「就活」を先延ばししていた私に、転機が訪れます。
「この先、景気が悪くなる」
母から「この先、景気が悪くなるから一回くらい、どこかに就職して。」と言われました。
時は、バブル崩壊直後、短大二年の一月下旬のことです。
当時私は両親から「(授業料以外の)金は出さないが口も出さない」と言われていたので、よほど目に余る状況だったのでしょう。
母の言葉に、私はほっとしました。
当時は自覚していませんでしたが「母から言われたから」という理由で、周囲に対し、就職活動をする言い訳ができたからです。
そんなことを私が思おうが、周りの友人達は知らないし、知ったところで、どうでもいい話、なんですよね。
そのことに気付かず、自分が傷つかないようプライドを守り続けたことで、私は、危うく就職のタイミングを逃し、路頭に迷うところだったのです。
「おいで」という匂いがする求人票
翌日学校に行くと、新規で大手メーカーの求人票が貼り出されていました。
それを見た時、不思議なのですが「おいで」という匂いがしたのです。
驚いてもう一度求人票に鼻を近づけると、やっぱり匂いがする。
何か月も見てきた、他の求人票からは、全くそんなことがなかったので、ここに応募しようと決めました。
就職課で、採用試験の申し込みをし、一回目の会社訪問をすることになりました。
手ごたえのある面接
恐らく、この会社を選んだ理由と、受けた会社の数を聞かれるだろう。
そう思い準備して出かけたのですが、やっぱり聞かれたので
「保険・証券・銀行など、金融業界を外していて、メーカーに行きたかった」
と伝えました。
先方の反応は「僕も同じだったんだよ。」
なかなかの出だしで「求人票からおいでという匂いがした話」もして帰ってきた私は、手ごたえを感じていました。
その後、もう一度会社に訪問し、試験、面接を経て、この会社に採用されました。
驚愕の事実を知る
東京での研修と入社式を終えて青森の営業所に戻ってきた時、上司から驚愕の事実を聞かされました。
「伊藤さん、本当は採用する予定じゃなかったんだ。
伊藤さんの試験の成績は二番で、本当は一番の人が入社するはずだったんだよ。」
なんですと?
「誰が良かったかをSさんに聞いたら、伊藤さんって答えたから伊藤さんになったんだよ。
だからSさんに感謝してね。」
Sさんとは、結婚退職する先輩で、私がその代わりとして入っています。
理由をSさんに聞いたら、これまた驚愕の事実が。
「私、採用試験に興味がなくて、誰の名前も覚えていなかったの。
みっちゃん、会社訪問の時に、お客さんが来て、席を立ちあがって私の近くに来たでしょう。
あの時、所長が「伊藤さん、座ってて」って言ってたから「伊藤さん」という人がいることだけは知っていたのね。
全員の面接が終わった後、所長から誰が良かったかを聞かれて、答えない訳に行かなかったから、唯一覚えていたみっちゃんの名前を言ったの。」
えーーー。
採用される予定じゃなかったのに、まさかの理由で入社したことが、あまりにも衝撃的で
「運に関係なく生きたいと思ったのに、結局、運で会社に入ったのか。」
そう思ったのです。
ということで、次回は「運に関係なく生きたい」と思っていた私が、会社員時代に何をしていたのかに触れます。

