未来を示唆していたユースキャンプ①|引きの良さはどこまで続く?

自分軸教習所を運営する、アイホージュの伊藤みつるです。

この話は、学生時代に私が思い、感じ、考え、行動したことなどが、アイホージュの立ち上げと現在のEFTタッピングの内容へとつながっていく、連載ものです。


ユースキャンプでは、私の未来を示唆するようなことが、たくさんありました。

EFTをするようになって、それに気付いた時、ずいぶん驚きましたが、私の人生は、過去・現在・未来とつながっているのです。

だから、未来を示唆するようなことが、過去で生じているのは、ごく自然なこと。

自分がそれに気付けるのか、そうではないのかが、大事なのだと思っています。

目次

自分で決めることに躓く|これでいいのか開会式

開会式の担当になったものの、何のアイデアも浮かびません。

これまでのさまざまな開会式を振り返っても、同じような感じ、なんですよね。

そんな訳で、二回目の委員会の時「前年同様の開会式」を提案したのですが、キャンプを統括するリーダーから
お叱りを受けました。

「前年と同じことをするなら、何のための準備委員なんだ。」
ごもっともです。

リーダーの口調にびびった私は、その場を取り繕うように「整列しないという、日本では斬新とも言える形」を無理やりひねり出し、その案で行くことになりました。

こうやって、与えられた機会に対し「自分はどうするのか」を決めたのですが、内心、これでいいのかという思いをずっと抱いていました。

これを機に、私の中でいくつかの疑問が生じます。

  • 自分で考えるって、どういうことだろう
  • 何をもって考えた、と言えるのだろう
  • 具体的に何をしたら考えたことになるのか

これらの疑問が、後に、現在提供している「意思の扱い方を変える、軌道修正の内容」へと結びついていきます。

自分の意思に関係なく、誰かに何かを与えられる機会を得る高校生の私

開会式直前に、思いがけないことがありました。

「インドに行かないか」と声をかけられたのです。

海外から日本のキャンプに参加する人たちがいたように、日本から海外のキャンプやその他の何かに参加する機会があるのです。

その情報は、小雑誌を通じて知ってはいました。

でも私は、前年の修学旅行で初めて乗った飛行機に対し、恐怖心を感じていて、自ら海外に出たいとは思っていなかったのです。

どこまで続く?自分の引きの良さ

開会式では、日本語と英語のアナウンスがあり、私は英語の担当をしていました。

地区には通訳の方がいたのですが、委員会の段階ではお会いしておらず、事前に、自分の書いた原稿を学校の先生にチェックしてもらっていました。

「英語で何と表現したらわからないないこと」が一つあったので、先生に聞きに行きました。

「団体独自の言い回しがあるはずだから、確認した方がいい」と言われたので、開会式が始まる前に、本部に聞きに行ったのです。

その時対応して下さった方が、海外の担当だったのでしょう。

アナウンスの内容を読み上げるように言われて、一通り終わった後。

「あなた、英語、話せるの?」
「少し話せます」

というやり取りから「あなた、インドに行く気はない?もし、行きたいなら、期間中に声をかけて。」と言われたのでした。

・・準備委員会、地区長と続く中、今度はインドか。

引きの良さと運の良さにびびりつつ、浮つく自分がいました。

同時に、目前に迫る開会式と、飛行機への恐怖心、普段のお腹の緩さに対する不安などが湧いたのを覚えています。

でも、この話は、ここで終わりました。

なぜなら、私は、キャンプを終えた参加者の皆さんを見送った直後、まさかの大けがをして病院行きとなり、インドどころではなかったからです。

実現しなくていいこともある

当時は、せっかくのチャンスを逃したことを、勿体ないと思っていました。

でも今は、あの時点で話が終わり、インド行きが実現しないことが、私にとっての最善だったと思っています。

後に、EFTを通じて知ることになる、私のテーマは「外側に対応する自分の内側」であり、必要なことは、「国内の、今いる場所で、自分の意思に沿って、今できることを、一つずつ積み重ねて得られる深みや変化」だったからです。

今の私は、日常のさまざまな場面で、岐路があり、インドに行く、行かない、どちらを選んでも、つながる道があることを知っています。

もし、あの時、インドに行けたなら。
それは、とても素晴らしい体験になったでしょう。

ただ、土台のぐらつきを抱えた状態で、自分が行くと決める以前に、人に言われるがまま、インドに行ってしまったなら。

恐らく私は、インドに行ったことを誇示して、周囲に承認を求めただろうと思うのです。

そして「海外に出たから変われた(日本では変われない)」と捉えて、無自覚のうちに、日本や周囲を見下したり、優位に立とうとしたりしながら、「ここではないどこか」を今も探し続けていたのかもしれません。

機会を、自分がどう扱うのかによって、後の展開が違ってくる。

そのことを、高校生の私は知らないのです。

インド行きは、後にそのことに気付けるよう、伏線として存在していたのだと思っています。

次の記事では、開会式から始まる「肩書を通じて集まる周囲の承認と、自分の内側の変化」について触れます。

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